これまでオールスター・キャストという最上級の形容詞が、あまりにも無造作に使われて来たため、今度の大映で製作する『忠臣蔵』が、そのオールスターだといっても、ただちにその言葉のもつ本当の意味を伝えることが出来るかどうか疑わしい。

 だが、日本映画史を顧みても、一つの映画会社が今度の大映の『忠臣蔵』で試みたような、文字通りのオールスターを一作品に集結させたという例は殆んど皆無といってよい。

 だから、ここで『忠臣蔵』のスターたちを論ずることは、大映傘下の全スターを論ずるのに等しい。

 『忠臣蔵』といえば、歌舞伎の方から出た有名な合言葉がある。「出し物につまったら忠臣蔵、おかずに困ったら豆腐」というのがそれであるが、これは、われわれ日本人にとって、『忠臣蔵』の物語が、それほど親しまれ、しかも幾度繰返されても飽きない魅力を持っているという証左になるわけだが、歌舞伎の世界ではそれほどピッタリした合言葉も、そのまま映画の世界へ持ってきて「企画に困ったら忠臣蔵」といった具合に、簡単に行かなかったところに、大映がこれまで『忠臣蔵』に手をつけなかった原因があり、また今回創立以来十八年目になって、漸くその製作に着手した理由もあるといえる。

 第一に、日本映画の素材の中で、『忠臣蔵』ほど、主要な役の多いものはない。よほど豊富なスター陣を擁している大会社でなければこれを一社のスターだけでは撮り得ないのである。事実、昨年下期に大映が『忠臣蔵』の製作意思を表明した時でも、まだ、外部のスターの応援をたのまないで、大映だけでそうした大配役が組めるかどうか危惧した者さえあった。だが、一たび百十数名に上る総配役の顔触れの発表を見た時、誰しも一様に、現在の大映がいかに充実したスター陣を持つようになっていたか、ハッキリと見せつけられたことである。

 第二に - あるいは、この方を第一に挙げるべきかも知れないが - いかに『忠臣蔵』が日本人に馴染まれて居り、また仮に数多くの人気スターを揃え得たとしても、この物語の中心人物となる大石内蔵助を演る人に当を得なければ、結果は頭のない胴体のそしりを免れ得ない。

 ところが今や大映はその人を得た。あるいは発見したといってもよい。これまでに『忠臣蔵』で浅野内匠頭を演ずることすでに七回に及び、自他ともに判官役者の名を許していた当代随一の広い観客層を持つ人気スターが、今こそ芸の上でも、役の上でも、立派な統帥者として貫録と風格を兼ね備えるに至っていることを - 。長谷川一夫その人を、である。

 更に、誰もがその物語を知っていて、尚次々と新しく作られる『忠臣蔵』が飽きられず迎えられるもう一つの大きな魅力は、大石役を含めての、その配役の妙にあるということも見逃せない。この意味に於ても、大映の『忠臣蔵』の配役陣を眺めるとき、会社首脳部の苦心の跡と自信の程が同時にうかがわれるような、ユニークで且つ新鮮な印象を受けないわけに行かない。

 以下は、その印象記とも云うべき、大映『忠臣蔵』一座の評判記である。