以上の人々に対し、劇の要所要所を締めて行く、一見地味ではあるが、こうした大作の風格と幅を増すために欠くことの出来ないベテラン陣に目を転じると、まず大敵的存在として浮かび上って来るのは、新劇界の大御所ともいうべき名優滝沢修の吉良上野介である。「盗人にも五分の理」のたとえの通り、単なる強欲老獪の老人でなく、吉良は吉良なりの生活信条を持つ裏付によって、滝沢はこの典型的な悪人に人間的息吹きを吹き込んで、完璧の域までに高めるに相違ない。同じ意味で小沢栄太郎の千坂兵部もまた、赤穂の大石に対する米沢の千坂と並び称せられた知恵者ながら、大石が秘密の内にも大義の仇討を決行しようと計るのに対し、飽くまでもこれを阻止しようとする側に廻るだけに、大石の陽に対する陰の立場は免れ得ないが、長谷川一夫の内蔵助を向うに廻して、権謀術数の限りを尽す、吉良陣営の策士的風貌を如実に浮び上らせるだろう。

 志村喬の大竹重兵衛は、古武士的風格の中に、たくまざるユーモアを漂わせて、最後に熱涙をふり絞るあたりで、独壇場の名演を振るうことが期待され、信欣三の大野九郎兵衛が赤穂城大広間で清水元の吉田忠左衛門と激論を闘わす件は、これまた上野介と等しく、堂々と自分の主義を主張することになっており、これまでの大野になかった迫力を付加すると思われる。

 清水将夫の柳沢出羽守は、内匠頭に対する片手落ちな裁断を下した張本人としてその片鱗を見せるが、内蔵助の仇討の目的は、一吉良の白髪首になく、大きくこの柳沢施政に対する抗議であるとうたう「渡辺忠臣蔵」の中では、その果す役目は大きいといえる。松本克平の梶川与惣兵衛も、松の廊下だけの出場では、演技力の見せ場もないかも知れないが、やはり彼の人柄が物を云うワン・シーンである。

 山科閑居の骨肉別離の悲劇は、長谷川、淡島の息の合った名演によってかもし出されることは論を俟たないが、ここに登場する東山千栄子の母たかによって、初めてその画竜点晴の功が成るといっても過言ではあるまい。

 田崎潤の清水一角は、これまでの『忠臣蔵』のように唐突として討入シーンに現れるものでもなく、また新解釈的な題目を称える人物でもない。千坂兵部の腹心の剣客として、吉良付人の総司令官として、飽くまでも兵部の命令に忠実な武士としての行動を貫く豪直の武士として描かれているだけに、そのデビュー以来田坂の芸風を知悉する渡辺監督が、存分に腕を振って活躍させることが期待される。

 従来の「忠臣蔵」全篇を通じて、赤穂浪士の計画が最も危機に瀕するのは、何といっても「東下り」の途中に起った垣見五郎兵衛(或は立花左近)と大石内蔵助との対決シーンであろう。

 従って、偽の垣見五郎兵衛たる大石内蔵助と同格の大スターなり、座頭役者が、この本物の五郎兵衛に扮するのが、恒例のようになっているが、大映はこの五郎兵衛役者にも事を欠かなかったのである。すなわち、当人は完全な映画スターになり切ったと声明しているものの、関西歌舞伎界の大立者であり、その舞台では「忠臣蔵」を数限りなく演じて来た成駒屋中村鴈治郎が、大映陣営に厳然と控えているのだ。従って、吉原本陣対決のシーンで、長谷川・鴈治郎が重厚の演技で花を散らすところはいかなる見巧者をも、感嘆させるような、、全篇を通じての圧巻となることは明らかであろう。