一カ月にわたる大阪歌舞伎座の舞台公演を終わった市川雷蔵は、ひさしぶりにホームグランドの大映スタジオに帰った。次回作として待ちかまえているのは、中里介山の『大菩薩峠』。すでに東映の片岡千恵蔵で映画化されたことのある大作だが、その大作に取り組む雷蔵の抱負を打診してみた。

 映画人は『大菩薩峠』というと名作で、『忠臣蔵』につぐものというけれど、現代の観客層にどこまで理解させることができるかがキーポイントになるでしょうね。改めて原作を読みなおしましたが、机竜之助という人物は現代性を持った人物で、なんでもないのに巡礼を切ったり、無神経というか、普通でなく、行動に批判性がないんですね。そういう意味で現代にアピールすると思うんですよ。ふだんは変わってないけど何かの拍子で、人間がガラリと変わることがある。竜之助も剣を持つと性格が一変する。そういう人間的なもの、その変わり目の表現にひと工夫をしてみたいと思っています。

 例の音なしの構えだって、黒の着流しに放れゴマの紋、スッと構えたポーズなど過去のモノマネはよして、何か独創的なものを出したいです。これは森田師範についてミッチリ勉強します。そして島田虎之助襲撃に際して、「剣正しからざれば、心正しからず」の有名なセリフによってはじめて人間を知る。そして後半悩みを持つ人間竜之助になる。こういうところをテーマにして、人間竜之助の苦悩を描いてみたいと思っています。 さいわいボクには原作どおりの若さがあるので、過去に完成された竜之助としかみえない千恵蔵さんより、未完成の竜之助の表現ができると思っています。

 演出の三隅研次監督とは過去五本おつき合いしています。映画のテクニックについてはもう十二分に信頼できる人で、こんどの場合、ボクをとりまく人間関係をどういうふうに浮き立たせるか、そんなところに期待しています。

 

 (サンスポ・大阪版 09/06/60)