1991年に渋谷のユーロスペースで開催された三隈研次監督特集『白刃の美学』パンフレット(04/15/91発行)

 

 

横長画面(シネスコ)の鮮烈な構図 -三隅研次の回顧上映- 

 

  最近の江戸ブーム、歌舞伎ブームなど若い世代による歴史発掘には、世紀末の唯美的な好みというだけでなく、国際化時代の日本人のアイデンティティの確認という要素も強いようだ。

 市川雷蔵のブームにつづいて、三隅研次の時代劇が「白刃の美学」の名で五月九日から連続上映されるのも、やはりこうした時代的渇望の反映と見ていいだろう。

 しかし雷蔵にしても三隅研次にしても、単なる回顧趣味の対象ではなく、そこに、現代にひびいてくる不思議な<新しさ>がある点にブームの意味がある。

 若くして世を去った雷蔵の表情に一種の寂しさがあり、明るい喜劇を演じていても、そのかげりが彼についてまわるのは当然だが、それは雷蔵のたまらない魅力の一つだ。眠狂四郎なども、決して猛々しい剣客ではない、むしろ女性的で、はかなげでさえある。

 それだけに、円月殺法という幻想的剣法が妙に凄みのある現実感を持ちはじめる。眠狂四郎は雷蔵のシルエットで初めて可能になった剣客だろう。

 三隅研次の場合は、いわゆる芸術派監督ではなく、どちらかといえば、現場性の強い、時代劇に徹した監督と見られていた。しかしヒッチコックやハワード・ホークスが、同じように現場性の強い、娯楽第一の映画を目ざしながら、第一級の映画を撮っていたのと似て、三隅研次の時代劇には、一種鮮烈というべき鋭い映像感覚が溢れて、いま改めて見直してみると、その完璧な芸術性に圧倒されるような思いがする。

 三隅研次のフィルモグラフィーによると、1954年に『丹下左膳 こけ猿の壺』を作ってから58年の『ふり袖纏』までスタンダードで撮影しているが、それからあとの全作品はすべて横長のシネマスコープ・サイズである。

 三隅研次の見どころの一つは、この横長サイズをいかに見事に使って、シャープな映像美を作りだしているか、という点だろう。

 たとえば『斬る』の冒頭は、横長画面が、左から、白と黒が一対三の割合で区切られている。カメラが左に移動して、白の部分が広がり、白と黒が半々になったとき、黒の向うから女の顔がすっと現れる。

 藤村志保の演じるこの女は、奥座敷へ忍んで、奥方を殺そうとしている。カメラは、突然、真上から、垂直に奥方の寝所を俯瞰する。ヨコからタテのこの見事なカメラワークは、白黒の画面の分割の美しさとともに、私達の息を呑ませる。

 『新選組始末記』の冒頭、横長の画面が、立ち騒ぐ群衆の顔を、アップで、右へ右へと移動しながらとらえてゆく。カメラが止まると、画面中央に女主人公の顔がある。この激動的な冒頭シーンもドラマに直結してゆく。

 その点、三隅研次は、美しい映像を、芸術映画風にドラマから切りはなして、これ見よがしに見せるということは絶対にしない。

 そこが、映画を大衆娯楽の最大の媒体と見た三隅研次の心意気なのだろう。彼は映画時代の最後の監督だったから、斜陽に向っていた映画産業を何とか盛り上げなければならないという意識があった。映像美だけの映像などということは言っていられなかったのかもしれない。

 しかしそれにしては、どの作品も、映像が凝りに凝っている。前記『新選組始末記』でいえば、最後は、冒頭の群衆場面と対応する群衆の顔のアップが移動で現れる。そして藤村志保の顔が、下から大写しとなり、背後は、横長画面を屋根の線が対角線に区切って、白い空と黒い屋根が対照され、そこにエンドマークがくる。

 このほか、「座頭市」シリーズ、『剣』、『古都憂愁』など現代物、山本周五郎原作の人情劇『なみだ川』、渡世人を扱った『無宿者』など三隅研次の作品を幅広く集めているが、主題に一貫して、正義、人情、まごころ、一徹さなどを描いたところにも、この監督の姿勢があったのかもしれない。

 しかし何といっても三隅研次は映像美で酔わせる。横長画面を斜構図にクローズアップして人物を対決させたり、画面の大半を黒い影で仕切って残る空間に遠く人物を置いたりの、日本人の絵巻感覚にぴったりくる独創的な構図。さらに童歌、民謡、玩具、民具などの劇的効果。セットの重厚さ。風景と風俗の詩情など、やはり大映全盛時代の面影はいたるところに色濃く漂っている。

 映画の面白さと美しさ━その最大のエッセンスが三隅研次のなかに凝縮されているのは間違いない。

(辻邦生 毎日新聞夕刊 05/08/91)