石上 三登志
ところで、三人が三様に剣の道を志した直接の動機は後で述べるとして、それに大きな影響を与えたと思われる人物がそれぞれ登場している事を、ここで指摘せねばなりません。『斬る』の場合、信吾の才能の理解者として彼の仕える藩主牧野遠江守(細川俊夫)が置かれます。なんとなく旅に出たいと思った信吾を許したのも彼、旅先で門付けの女の持つ三味線から学んだという“三弦の構え”を認めたのも彼なのです。
『剣』になるとそれは剣道部の監督木内先生(河野秋武)として登場します。おそらく次郎が入部した動機は、この“葉隠れ”を説く師に対する共感にあったのではないかと、容易に想像されるのです。 『剣鬼』では、異常に速く走れる事と、花を作る事だけうまい斑平に剣法を見せ、彼に会得させた中年の武芸者(内田朝雄)です。 この三人の共通点はといえば、非常にやさしい口調で彼等は語りかけるという事です。ちょうど犬や猫を可愛がる時の人間の口調、あれなのです。軽蔑ではなく、愛情に違いないが、どちらかというと一段劣ったものに見せる哀れみのようなそれなのです。とにかく彼等の話し方は時として異様なほどやさしい。あるいはちょっとしたやさしさにも、主人公は特にそれを強く感じているのではないか、つまり、彼等は“かたわもの”達の意識を通したそれではないか。私にはそう思えるのです。 “かたわもの”に対するあわれみ、それが彼等の体質を変えたのでしょうか。犬が主人になつくように、彼等日陰者達も又、主人に仕えたのでしょうか。そしてその辺を描くのが、三隅研次の演出意図だと思われるのです。 “かたわもの”である事においては、シリーズ物である『座頭市』や『眠狂四郎』の場合でも変わりありません。“狂四郎”物の第一作『眠狂四郎殺法帖』(63年)は田中徳三が受け持っているので、厳密には彼が当初から意図した“かたわもの”ではありませんが、第二作『眠狂四郎勝負』(64年)、第五作『眠狂四郎炎情剣』(65年)の三隅作品では、あきらかに“かたわもの”意識が前面に押し出されてくるのです。ころびバテレンの宣教師と黒ミサの犠牲者の女との間に出来た混血児である狂四郎は、『眠狂四郎勝負』では、人生においてすでに“かたわもの”的存在である老人(加藤嘉)との連帯によって、ひねくれながらも、やすらぎを覚えるのです。狂四郎も又、信吾、次郎、斑平と同じく、心のゆがみを持った“かたわもの”だったのです。そしてこの場合も、先の三作と同じく市川雷蔵が演じている事も又注目すべき点なのです。
周知のように現在大映時代劇の人気を二分しているのが、この市川雷蔵であり、そして勝新太郎です、だから大映京都で時代劇を作り続ける三隅研次は、どうしたってこの二人を使わねばなりません。ところで三隅作品の場合、市川雷蔵は前述したものの他にも『新選組始末記』(63年)、『無宿者』(64年)等があり、彼のペースをきちんと守っております。それにひきかえ勝新太郎のものは、“座頭市”シリーズ以外、近作では『無法松の一生』(65年)の一本だけ、しかも私にはあまり良い出来とは思われませんでした。同じ事は、林与一を主人公とした『鼠小僧次郎吉』(65年)にも言えるのです。なぜこの二作がつまらなかったか、答えは簡単です。“無法松”も“次郎吉”も“かたわもの”であるにはあまりにも健康な人間だったからなのです。松五郎は“愛”に飢えながらも、階級意識から抜けきれなかった、ただの古くさいモラルしか持っていませんでしたし、次郎吉も又ただ単に世をすねたニヒリストでしかなかったのです。そこには“かたわものの”の心のゆがみなど、まるで何もなかったからなのです。 これは雷蔵と勝新との役者のキャラクターの相違でもあるというわけです。というのは、雷蔵の場合、特に市川崑の『炎上』(58年)以後、精神的不具者としての演技面に秀れた持ち味を生かしているのに比して、勝新は例えば『破れ傘長庵』(63年)のような悪人を演じても、どこかに明るさが出てきてしまうような健康人であるからなのです。だから三隅研次は、勝新を盲目にし、強引に“かたわもの”に仕立て上げたといえば、いささか読み過ぎかもしれませんが、事実そういった役割の設定で“座頭市”シリーズ第一作『座頭市物語』(62年)は成功したのです。(・・・中略) |