厖大な資料ととり組むクランク前の慎重な一日、右より溝口、市川、久我。 |
世界的定評のあります、大映カラー総天然色として製作するこの『新・平家物語』は、それこそ大映が社運を賭して製作するもので、国内はもとより、海外にも日本映画の神髄を示そうとするのが目的であり、その編成されたスタッフ・キャストにもその主旨が窺われると思います。 即ち、製作に永田雅一、企画に川口松太郎と松山英夫、脚色には、依田義賢、成沢昌茂、辻久一の三人が共同して当たっております。監督は『近松物語』『楊貴妃』につぐ巨匠溝口健二がその作家的情熱と野心をこの一作に投じて当たっており、撮影には、溝口監督のよき女房役宮川一夫が初めての色彩映画に野心的画調を見せております。また色彩監修に『地獄門』でアカデミー賞衣裳デザイン賞を得た和田三造画伯、美術監督に水谷浩、音楽監督に早坂文雄、衣裳考証上野芳生、録音大谷巌、照明岡本健一といずれも数々の映画賞に輝く人々で、スタッフが編成されております。 出演には、主人公青年平清盛に大映の若手時代劇スター市川雷蔵が抜擢されたほか、その妻時子に久我美子、時忠に林成年、平忠盛に大矢市次郎、妻泰子(祗園女御)には木暮実千代、伴卜に進藤英太郎、木工助家貞に菅井一郎、左大臣に千田是也、白河上皇に柳永二郎等、総員六十二名にのぼる大キャストが絢爛の演技を繰展げることになっております。
さて今回の映画化の中心となるものは、青年清盛の、生活感情と世界観です。従来、清盛と云えど、先にあげた「平家物語」を初め、数多くの史実も、清盛を悪逆無道の人間としてしか(彼の残した偉大なる業績さえも、彼自身その明快なる性格、現代風に云えばフンマン的素行によって、後方に押しやられたのですが) − 描いてこなかったようです。そうした先入観を根底からくつがえして、吉川英治の「新・平家物語」は、現代の我々にも共感を与える強いヒューマニズムに貫ぬかれた人間清盛をあます所なく描きつくしているのです。 当時の無気力な貴族に軽蔑されながらも、着々と地位を固めていった武士階級の子として生れた清盛が、身の秘密を知った時の驚愕 - 彼にとっては平忠盛の子でもなければ武士でもない、ただこの世に生をうけた一介の人間に過ぎないという事実と境遇とのジレンマにおち入る人間清盛が、やがて成人と共に、公卿制度に対する疑問、武家政治の批判などさまざまの苦悩を味わいながら、人間的成長を遂げてゆくところにこの映画の主題は存在し、現代劇に強い共感を与える意味もあるわけなのです。 この作品を監督するに当たって、溝口監督は次のように語っております。 「貴族の番犬として蔑視されながら、着々と実力をたくわえてきた当時の武家は、腐敗、無気力の貴族にかわって、政治の運命を背負わされていたのですが、まだ夜は明けきっていない。清盛は、そういう武士の子として生れ、自分の出生の秘密に悩みながらも、その苦悩の中から、歩むべき道を発見し、一切の因襲をかなぐり捨てて、一個の革命児として、新時代の暁鐘をつくのです。その人間的成長が、この映画のストーリーとして展開します。ここに予徴される主題を、私は、次のように考えています。歴史をふり返って、政治上の勢力が交替するあとを眺めると、必ず先行ある文化の担い手が、無気力となり、因習的な形式の中に満足し、民衆の生活から浮き上ってしまい、そこに生じた関係をうずめるべく、実生活に即した文化を持つ次代の選手が登場して、発展してゆくという形をとっています。過去に於いては、文化の担い手が即ち政治の実験をにぎるものでした。」 「清盛は、この生活力にみちた武家政治とその上に築かれる文化の尖兵といえるでしょう。いつの時代にも、青年には、この気魄と逞しい実行力が要望されます。現代も決してその例外ではないと思います。清盛に象徴される主題の現代的意義は、このほかに求められないと信じます。清盛の、強いヒューマニズムに、今日の得青年層が、大きな親近感を抱いてくれたら、まず成功といっていいでしょう」 ともあれ、反逆児青年清盛の絢爛の絵巻を通して強くヒューマニズムを訴えるところに意図した『新・平家物語』は、名実ともに最も期待される大作であることに違いありません。
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