今宮神社の華やかな「やすらい踊り」ここで清盛の弟時忠が来合わせた叡山の荒法師了観と争う(上賀茂神社)

 

 太政入道平清盛を、吉川英治氏は、はたち近い青年時代から書き起こした。まだ平太と呼ばれていた頃である。この青年清盛をスクリーンに贈るべく市川雷蔵が起用されて、撮影に入ったのが六月二十五日。週刊朝日に連載されて既に五年五ヶ月に及ぶこの大長篇小説は三部に分けて映画化されることになり、これはその第一部。八月末には撮影を完了して、大映お得意の色彩映画で、秋のシーズンを飾っている。

 溝口建二監督は、カメラ基地を太秦に置いて、京洛の内外から近江大和にロケをひろげ、炎天下に(吉川平家)から(溝口平家)への綿密な転移作業を続けた。「姿も優に人にすぐれて、心ばえも賢かりけり」という青年清盛は汗まみれのモッブの中に、どう描かれることか。

(製作・永田雅一、脚本・依田義賢 成沢昌茂 辻久一、監督・溝口建二、撮影・宮川一夫、平清盛・市川雷蔵、妻時子・久我美子、藤原時忠・林成年、泰子・木暮実千代、平忠盛・大矢市次郎、伴卜・進藤英太郎、頼長・千田是也、白河上皇・柳永二郎)

 

 
 京都の本法寺にバラックの物売小屋を並べて作り上げた東市。七百人のエキストラを動かすため、助手は朝から晩まで、ワメキ通し。
 交流を直流に変電してライトをつける日本で只一台というご自慢のトラックも登場だが、ヤジ馬連中には興味がない。