千田是也と木暮実千代に演技をつける溝口監督(後向き)
一、
吉川英治の「新・平家物語」が溝口健二の監督で、クランクを開始したのが六月の二十五日だったから、もう撮影日数も二ヶ月近くなった。いよいよ追い込みの、もうあと十日ぐらいでクランク・アップと云う一日、スタッフ・ルームで丁度軽い昼食を終って、冷やしたお茶を口に含んでいた溝口さんと、午後のセット開始まで、暫く話した。一ヶ月ほどまえには、思うように撮影がすすまなくて苦虫を噛みつぶしたような溝口さんだったが、今日はその表情を忘れたように、明るく、楽しそうに、話してくれた。
− 今さらくりかえすこともないけど、今度の『新・平家物語』は朝日新聞と大映の企画で、ぼくは会社の天下りと云った形でやるんです。もちろん、興味は大いにあります。特に青年清盛、これは面白い性格だし、人間です。われわれの知っていた、悪人型の平清盛、そうしたものと違った新しい歴史観で描いているのだが、この清盛は好きです。青年時代の清盛は新しい、進歩的な程で、史実としても当時の進歩的な武士階級の代表者として、院政とか公卿の権力とかに対抗してるのだが、とにかく清盛は新しい時代を作った程です。今の神戸を作ったのも、和田岬をこしらえたのも清盛です。『新・平家物語』は講談ではなく、大衆小説としても良いものだと思うし、その原作の面白さ、良さを青年清盛を描く中に出そうと云うのが、ぼくの意図と云っていいでしょう。
− 市川雷蔵君(清盛)はいいですよ。歌舞伎俳優として積んだ修業、つまり歌舞伎の演技を雷蔵君から描き出そうと云うのがねらいだが、彼もよく勉強して良い演技を見せています。清盛のタイプとしても、雷蔵君は女形をやったことがあるが、そうした線の弱さが演技にある。しかし、清盛は上皇の息子と云うことになっているので、かえって貴族的なタイプとして、そうした感じもはまっているし、顔もうってつけだと思います。(「溝口さんは雷蔵や林成年(時忠)と云った若い人たちに演技をつける時、ひどく楽しそうに、細かい注意を与えていますよ、手間はとるが楽しそうですよ」とこ映画の企画・脚本にタッチしている辻久一プロデューサーの言葉が、ふと思い出された。)
− 色の方は『楊貴妃』よりは進歩していると思います。(色彩、和田三造)ぼくは御所の公卿たちと云った上層階級と、武士、町人の下層階級、この二つのものを色彩設計で対比して、劇の効果をねらったつもりだが、うまく行っているかどうか。
なお、溝口さんに、木暮実千代(泰子)、久我美子(時子)に就いての感想を聞いたら、溝口さんはがぜん、憤然たる語調で、かけ持ち出演はいけません、と云った。こうしたスタアたちのかけ持ち出演のために、セットの飾り直しといったような事で、撮影が予定通り行かないのも困るが、かけ持ちの映画の役の気分がこっちのセットでも抜けないのは何より困ると云って、木暮さんの演技に今出演中の伊藤大輔さんの『王将一代』の役の調子が、ふとした時に出るのを歎いた。こんなことでは、映画を作るのが厭になる、これは重大な問題ですよ、書いて置いて下さいと溝口さんは、念を押した。せっかく力を入れての演出が、こんな事で崩されるのが、いかにも残念そうだった。