『新・平家物語』は大映で、総天然色で映画化することになっていますが、原作者吉川英治氏並びに今日まで原作を連載して来た週刊朝日の編集部、そして、大映の製作スタッフの人々の、協議の上、数回にわけて、映画化することになり、第一部は、青年清盛を中心に描くことになりました。あらかたの、取り上げ方、主題について、ほぼ意見の一致を見ていますが、具体的な詳細な検討はまだ、この稿を書き上げた時には、行われていません。従って、この稿は、脚色担当の依田、個人の、作品として見て頂きたく、発表の責任を負うものです。さらに推敲を重ねて、決定稿は他日また、発表するつもりですが、初稿がどう云う形で構成され、決定稿がどのように改訂されるかを見られることも興味深く、意義あることと思います。
この作品は未熟で、発表するのは、いささか、つらいものがるのですが、「時代映画」発行の都合で、思い切って出しました。構成、描写を、粗野に扱ってみました。といって、決して未熟を云い逃れの口実にしようと云うのではありません。
複雑な時代の背景、殊に、宮廷の中の藤原氏と上皇、天皇、女御、中宮などの関係、その政治的な策謀による、皇后冊立と、父子の悩み、そこからまた新たな対立を呼ぶ、挿話は(原作でもこの部分で重要な背景を作っています)なんとかして、それを取り入れようと努力して見ましたが、それは、それのみをもって、別に、詳細に描くべきものであると思い、あくまで青年清盛の心情にのみ終始しました。また袈裟盛遠の事件をめぐってのいきさつは、既に、大映の『地獄門』に詳細に取り上げて、映画化ずみであるため、これまた、青年清盛の心情を動揺させる一事件としてのみ取り上げております。歴史的事実を敢えて追っていません。時間的にも、原作をさらに歪めて構成しているところもあります。(時代映画55年5月号より) |