結婚と恋愛

 現代の恋愛からも、純粋な感情は次第に失われていくようにおもわれます。それはいまの女のひとたちが、男の経済的な力を第一に考えるようになったせいにもよるでしょうが、これは一概に間違っていることだとはいえません。いくら純粋がいいからといって、昔のように「手鍋下げても」という恋愛が、現代にそのまま通用するわけのないことははっきりしています。

 私たちのような仕事をしているものは、日頃からなにかとゴシップなどでさわがれがちです。自分のなんにも知らないことや、まったく関係のないことをよく書かれたりしますが、ゴシップを作る人もまた生活のためにやっているのだとおもうと、私は腹を立てないことにしています。

 現代の恋愛から純粋な感情がなくなったのは事実のようですが、しかし私は恋愛でも、そういう気持だけは大切にしていきたいとおもっています。その点、私たちは、どうもすこしばかり不幸だといわないわけにはいかないようです。心のなかでは純粋な恋愛をしたいとおもいながら、私たちの仕事と商売がそれをさまたげています。ですから、純粋な恋愛をしている若い人たちを見ると、心の底からうらやましいとおもいます。そういう生き方をどこまでも貫いてもらいたいとおもうのに、中途でくじけて、二人で愛の解決を死に求めていくようなことになってしまったりするのは、賛成できません。

 このごろよく人に会うと「結婚」のことをたずねられます。なるほどそういわれてみると、私もいつか二十七になっています。世間普通の場合ならば、もう結婚していても、すこしもおかしくはない年齢です。もし私が映画界に入っていなかったら、いまごろはきっとそうなっていたことだろうとおもいます。

 経済的な意味では、普通の世間の人たちとくらべたら、あるいはすこしは恵まれているといっていいかもしれないし・・・しかし、そういう意味だけで、恋愛も、結婚も解決しないことは、くりかえし申すまでもありません。世の中は皮肉なものだとおもいます。時代劇の俳優である私が現代劇でブルー・リボン賞をうけたり、まあまあ人並に結婚の資格のある私が、いまだにまごまごしていたり・・・。

 私のいまの父も、母も、明治十四年生まれの古い人にはちがいありませんが、私のことについては、よく理解してくれています。結婚の条件については、私はなにも別にむずかしいことは考えていません。家とか、格式とかにこだわるような気持は、もちろん持っていませんし、もし求めるならば、私の仕事に理解を持ってくれて干渉しない、家庭的な人−それ一つにきます。強いていうならば、もう一つ−私の持っていないものを、生活とか、雰囲気のなかで持っている人。そういう人があったらいいと、私はおもっています。

芸道ひとすじ

 しかし私が、いまのままで結婚することは、私にとっても、その相手となる人にとっても、大きな不幸なことになるにちがいありません。「芸」というものは、そういうものなのです。私には仕事があります。まだまだ結婚するというゆとりは、私には与えられていません。

 映画界に入ってから四年半ばかりの間に、いまかかっている「蛇姫様」までで、私は五十四本の映画に出演しました。こういう例は、外国などでは先例がないそうです。その四年半の間に、私はは去年いただいたキネマ旬報主演男優賞をはじめ、NHKの男優賞、新映画祭の新人第一位賞などを受け、そしてこんどのブルー・リボン賞です。破格の光栄だとおもっています。

 それにつけてもおもうのは、長い年月はぐくんでくれた最初の養父母、九団次夫妻の慈愛です。すでに二人とも、この世を去って亡い人ですが、もしこの二人がいなかったら、今日の私はないものとおもわなければなりません。それと、いまの父と母とから受けた深い薫陶です。礼節をつくしたいと考えています。

 これらの人たちの恩義に応えるために、私はいま一生をかかって、高い山を一歩々々登っているということよりほかに何も考えていません。群がる雲海を破って、せめて心に壮麗な太陽の昇る日まで。−