ある日、ある時のこと
こわい、本当に怖い。癌という業苦の病名も、こころざしなかばに仆れたその口惜しさも、そして・・・・、身近に迫った“訣別”を察しながらもなお、病勢が進んでしまった“役者の顔”を見せまいとして他人を近づけなかったその執念も、雷蔵さんの最期をとりまくすべてが、私には怖い。唯物的な平素を心がけている私でさえ、この雷蔵さんの死の様相を思うと、ただただ、後生の安楽に合掌したくなる心境と、白状いたします。
雷蔵さんの極端な二面は、一は重々しい口調で、いかめしい顔つき、もうひとつは、白い歯を並ばせた、やや目尻を下げて揶揄的な笑顔、そのふたつがそのまま役柄として、私との共演作を、交互に訪れておりました。安珍と清姫、華岡青洲の妻、忍びの者などが前者で、ぼんち、狸御殿、好色一代男などが後者でした。そのふたつしかないと思っていた雷蔵さんの表情に思いがけなく、脱俗・超越的な一面を見出して、ハッとしたことがいつかありました。
前に私がいた広いサロンのある家で、大ぜいがあつまって大きなスピーカーでステレオを楽しんでいた時、邦楽の勧進帳の全曲レコードが鳴り出しました。同席していた雷蔵さんが立ち上がって、一座の者に“振り”を説明し始めましたが、曲が高潮してくると、その説明も忘れて、無心に弁慶の舞に専念してゆきました。その時の目、その時の顔、それは、ことさらにそう見せていただろういかつい顔や、苦しかった過去をかくしていた温顔をも、すべて忘れ去ったような、清涼・無心ともいえるまなざしに満ちていたのです。
共演作の数々を思い出すと、役の上では、雷蔵さんが私の最期を看取った話が多く、また、私を背に負ったり、抱きかかえて歩いたりすることが多かったのも不思議で、私の健康を心配して、いろいろの薬や養生法を教えてくれたものでしたが、ああ・・・すべてさかさまごとばかりでした。
こわい、本当に怖い、ある夏突然にということも、鬼籍に入るという言葉も。人の受けつがねばならぬ“死の恐怖”を、最期に遺して逝ってしまわれた雷蔵さん。
今、私の合掌する胸の内は、生前のすべての執念を洗い流して、あの日、舞にうちこんでいたあの清らかな表情で、あの世から、私たちを見ていてくださいと、念じつめることのみでございます。(「侍市川雷蔵・その人と芸」より)