ナマコのヨシ
雷蔵君に初めて逢ったのは彼がまだ中学生の頃だった。ボーとして鷹揚な子だった。それから武智歌舞伎、つくし会と私が指導するようになってからでも、すっとん狂なことをいったり、人を人とも思わぬ言動も彼の人柄で、誰も彼のことを怒る人はなかった。
義男ちゃん、義男ちゃん(後に吉哉と改める)と可愛がられた。顔にいっぱいニキビが出て恥かしいといって困っていた時、私が「それはインキンの薬が一番いいよ」といった。その晩、いまの延若、竹之丞、扇雀と一緒に心斎橋筋を歩いていたら、彼が薬局のナルミヤに入って行ったので皆一緒について入ると、彼が女店員にいきなり「顔につけるインキンの薬くれへんか」といったのだそうだ。皆あわてて「あれはおじさんの冗談や、ちがうちがう」と表へ引っ張り出したそうだ。女店員は真赤な顔をしていたという。それで彼は帰ってくると私に「おじさんアレ噂かナンヤ」とそれきりだった。他の者は大喜びでその話で持ち切りだが、彼はそんなこともうすんでしまったという顔をしている。
舞台のことでもそうだった。稽古の時でもじたばたせず、いつでも平気な顔をしている。他の人たちは稽古の時、私にいじめられたとか、武智さんにしぼられた話というのを持っている。義男にはそれがない。だから彼が特別上できだとか、天才だとかいうのではない。むしろ鈍な方なのだが、それでいて実に素直なので、こちらはたよりないが、さて舞台へ出るとちゃんとやる。
その頃はみんな義男ちゃん義男ちゃんといいながら幾分馬鹿にしていたが、それが月日のたつにつれて彼がいちばん利口だったことがわかってきた。その後の行動を見ても、私を初め皆ずい分無駄な行動をしたなかに、彼だけはひとつも無駄な行動をしていない。子供の頃の彼を知っているものにとっては驚くことばかりだった。彼は本当に聡明だったのだ。
芝居の中の人たちなどははじめから眼中になかった。取り入れるもの、覚えるものだけ覚えればそれでよかったのだ。だがあまりに若くして死にすぎた。まだまだしたいこともたくさんあったろうに、人間あまりに賢こすぎると早く死ぬのかもしれない。もっと愚かでよかった。昔の義男でいいから長生きしてほしかったと思うのは私だけではないだろう。
忘れていた。彼の愛称を「ナマコのヨシ」という。(「侍市川雷蔵・その人と芸」より)