好かれる坊ちゃん

私の長い撮影所生活の中でも、雷蔵さんのように、誰彼なしに憎まれ口をいって、しかもみんなに憎まれないという人を知りません。反感を持たれるどころか、かえってスタッフに好かれるというのは、雷蔵さんの持って生まれた天分とでもいうべきでしょう。

わたしたち衣裳部の部屋で、山本富士子さんと相撲をとって、見事腰投げで山本さんを投げてしまったという明るいエピソードも、雷蔵さんでなければ生れて来ないものでしょう。

さすが歌舞伎の世界で修行を積んで来られただけに、衣裳の扱いが丁寧なことは、長谷川一夫先生に似て、若い人に似合わず立派だと思います。デビュー当時は、衣裳の仕立てについて、いろいろ注文が出たものですが、最近ではその点で何も云われなくなりました。

これは生意気な云分かも知れませんが、最初のうちは衣裳がうまく着こなせなかったのが、近いごろでは着付けの一寸としたコツで、うまく着こなすようになられたのだと思います。これは大きな成長振りだといえましょう。

それから、衣裳の柄を見立てるのが上手なのにも、いつも感心させられます。例えば「千羽鶴秘帖」で好評だった「折鶴の身違い」の衣裳なども、雷蔵さんのアイデアでした。身違いというのは昔からあったものではありますが、そういうものを知っていて、時代劇の衣裳として注文されるところなど、やはり衣裳に対する造詣の深いことがわかります。

また、衣裳調べの時に、気に入ったものがあると、その作品で使わなくても、いずれその内に使うから、取っておいてくれといわれ、私たちとしても大変助かることがあります。若い監督さんと一緒に仕事をされる時など、人気巣田0として威張るのでなく、お互いに意見を腹蔵なく述べ合って、のびのびと仕事をしておられるのを、傍から見ていて本当に気持ちのいいものです。

私たち裏方は雷蔵さんのことを、歌舞伎時代からの仕来りのまま、「坊ちゃん」と呼んでいますが、そんなことを別にしても、「坊ちゃん」と呼んで少しもおかしくない感じの「坊ちゃん」です。(昭和34年7月20日発行「よ志哉」12号より)