中学時代の雷蔵君
雷蔵君が、大阪の名門、天王寺中学に入学したのは、昭和十九年四月のことである。
可愛い品のよい少年で、数学はあまり得意というふうではなかったが、まじめにこつこつ勉強するので、私の眼にとまった。
ようやく勤労動員も盛んなところで、一年生も貯水池掘りに狩り出されたが、温室育ちの雷蔵君がシャベルをにぎったりするのは、たいへん痛ましく思った。それでも責任感は強い方で、疲れても無理してよく働いていたようにおぼえている。
そんな勉強もできない毎日だったが、雷蔵君は勉強のことを忘れず、私が阪大理学部の学生を数学、英語の家庭教師をさせたことなど、普通の家庭では考えられないことで、感心したものだった。
やがて、京都へ疎開して通学も困難になるにつれ学校をやめ、その後歌舞伎から映画へ移った最近も、ますます活躍しているのをみて、心から嬉しく思っている。(筆者、有田巳之助氏は元天王寺中学数学教師。雷蔵さんの一年のときの学級主任でした)(明星55年8月号より)