雷蔵が武智歌舞伎で、前記のように若手五人男の一人として売り出したころ、あちらからもこちらからも、映画入りをすすめる人が現われた。映画会社では、寿海の関係で松竹が先ず話しにかかった。また、マネージャーを買って出る者もあり、いわゆるスターブローカーがさかんな暗躍を開始した。
こうなると、若い雷蔵としても心動かされるのは当然である。そんな矢先大映から申込みがあった。彼はとくと考えた末、真面目な気持ちで養父寿海に、慎重に相談した。
「実はいまわたしはなやんでいます。映画会社から勧誘のはなしが来ているからです。あなたという立派な人を父に持っているわたしですから、その歌舞伎の名門に生きてゆくべきか、またこの際、意を決して映画という新しい世界に飛び込むべきか。わたしは前途の大きな岐路に出たのだと思います。
わたしの思いますのに、やはりこれからは映画こそはわたしの勉強の道場として一番ふさわしいと思います。そこでみっちりと勉強してみたいと思います。松竹からのお話しもありますが、演技の指導を、例えば武智先生みたいな人のいるところで、十分叩いてもらいたいのです。
大映には、映画の鬼といわれる溝口先生がおられるし、また衣笠貞之助、伊藤大輔といった巨匠がおられるので、映画という新しい舞台に転向していく甲斐があるように思えるのですが、いかがでしょう」
わが子の決意の言葉をじっと聞いていた寿海は
「若さというものは二度来ない。今の若さを、映画で十分のばしてみるのもいいだろう・・・。よろこんでわたしはお前の映画入りを許そう」
ここに彼の大映入りが決ったわけであるが、それはまだ四年半前の昭和二十九年の夏であった。
最初『花の白虎隊』で、華々しく登場し『千姫』『幽霊大名』『お夏清十郎』『潮来出島』などに出演したが、スタートしての座を確保したのは、故溝口健二監督の『新・平家物語』で青年清盛を演じてからである。
最近は『大阪物語』『朱雀門』『浮舟』などで人気を博した。しかし、さきに書いた『炎上』での好演は、雷蔵をして不動の地位を築かしめたといっても過言ではない。彼はまた真面目な俳優としても定評がある。それと同時に、口の悪い男としても有名である。はじめて彼に会った新聞、雑誌の記者は面食らうそうだ。
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