大映、安田公義監督の『鬼斬り若様』はクランク・アップを間近に控えた四月はじめ、御殿場ロケーションが行われ、富士裾野地方の美しい風景をバックに市川雷蔵、水戸光子、八潮悠子などの顔ぶれがそろったが、以下はそのロケ記の一節。 京都からの夜の車中、ずっと降り続いていた雨が、明方ごろからやんで、御殿場駅へ降り立った時は、拭ったような好天気になっていた。駅前の旅館で準備を整え、現地雇いのエキストラ十五名を交えたロケ隊総勢九十名はバスに分乗して、長尾峠に向った。晴れた空に富士山が美しい。土地の人の話によれば、富士が顔を出したのは数十日ぶりということである。小一時間ドライブして、一行は撮影現場につく。長尾峠の手前で、はるか眼下に愛鷹山をへだてて、駿河湾が手にとるように見える。シナリオの中では乙女峠になっているのだが、実際の乙女峠は此処より東北3キロの地点にある訳になる。 今日の撮影場面は、映画のラストシーンで、クライマックスの大殺陣の後を承けた余韻ジョウジョウたるところ。すなわちこの劇に活躍した人々が、いろいろの思いを残して、乙女峠を起点に右に左に別れて行くところである。最初のカットは、遠くに雷蔵の松平長七郎と、八潮悠子の百合が歩きながら話し合っている。手前の方に長七郎の家来宅兵衛(香川良介)と右平次(南条新太郎)がこれを見守っており、キャメラがパンすると、女役者左近(神楽坂はん子)が軽い嫉妬の面持ちで長七郎のラブ・シーンを眺めており、出発直前の女役者の一行が車や馬を止めてこれを見つめている。更にパンすると、スリの一団、そして女スリおれん(水戸光子)がやはりスネたような感じで、イライラしながら歩いている。といった手のこんだ場面である。 テストのたびに、キャメラ位置から俳優への連絡が大変である。さていよいよキャメラが雷蔵、八潮に近づいて二人のラブ・シーンになったところ、二人の熱にあてられたのか、富士山が雲で顔をかくしはじめ、撮影は待機となった。だがこの日、安田監督はネバリにネバって予定の撮影を終了した。 夜は宿屋で各自自由行動。松平長七郎ギミは宅兵衛、右平次、スリの三五郎(清水明)と麻雀をたたかわし、おれん姐御は殊勝にも、百合姫とともに、人形作りに没頭しているという旅の風景だった。
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サンスポ04/16/55