藤村 この間、久々に映画の仕事で京都の撮影所に行ったんです。ちょうど、勝さんの判決が出た直後でしたけど、京都の大映関係の映画人は、勝さんが京都へ帰ってくる日を心待ちにしているんですよ。それがとても嬉しかったですね。大映が倒産したとき、勝プロがあったお蔭で、大映のスタッフはバラバラにならず仕事で繋がっていられたんですよね。それに対する勝さんへの恩義というものをスタッフはみんな感じているんですね。今、勝さんは逆境にあるけれども、もし勝さんが映画を作るとなったら、いつでも自分たちは集まるから早く作ってほしいって、宮川一夫先生以下、みんなが待ち望んでいるんですね。
星川 さっき藤村さんから話が出た、勝さんとシナリオに関して一言言っておかなければいけないんですが、こういうことだろうと思う。勝さんはいつでもシナリオについては不平を言う。それは雷蔵さんとはまったく対照的で、例えば「座頭市」をテレビを含めたら百本以上も演じている。ところが、シナリオの書き手は、何人もいてそのなかの数本しか書いていないわけですね。そうすると、座頭市を一番よく知っているのは、勝さん自身ということになる。そこに問題がある。勝さんは座頭市を演じ続けることによって思い込みが激しくなり、ついには「座頭市は俺だ」っていうことになる。書き手のほうは困惑するでしょうよ。あるとき、意見を求められて、私はこういった。「だったら、シナリオの書き手はストーリーだけ書く。またはハコまでやる。あとは勝ちゃんが自由にやりなさいよ」 「それは出来ない。それは違う。ライターたちが、俺に近づいてもらわなければ」そうは言っても、勝新太郎は一人だから、勝でなければ座頭市にならないといわれてしまうと、書きようがなくなるでしょうね。けれども、勝さんはああいう人だから、本意は違うところにあって、つまりは信頼するか、しないかということです。
和久本 星川さんは「眠狂四郎」シリーズ十二本のうち、八本をお書きになったんですが、雷蔵の場合もそんなことがあったんですか。
星川 一切ありませんでした。でも、こういうことはありました。私の仕事ではない作品のとき、三隅さんと雷蔵さんが二人で立ち往生してしまった。その時、二人から電話がかかってきて、脚本を手直ししてくれって言うんです。それは出来ない。勘弁してくれって何度も言ってもききいれない。現実に撮影はストップして動きが取れなくなったから、何とかしろ。雷蔵さんにしては珍しいことでした。勝新太郎なら、自分でさっさと作り直してしまうんですが、市川雷蔵さんはそれをやりません。あくまで相手が書いてくれるのを待っている。
藤村 雷蔵さんと共演する場合、監督がいくら私に注文をつけても黙っていらっしゃるの。でもそれが、度を過ぎた注文になると助け船を出して下さるんです。いつも引いて見ていて分をわきまえていらっしゃった。ところが、勝さんと共演すると、勝さんのほうが演技指導がお上手なだけに、つい監督さんも勝さんに任せてしまうところがあるんですね。花札の切り方ひとつにしても、勝さんのほうが色々な遊びを知っていらっしゃるから、監督より信憑性があるんですよ。
和久本 雷蔵はどんなふうに役作りをやっていたんでしょうか。それにはやはり人には分からないものでしょうか。
藤村 役者同志でも窺い知れませんが、ずいぶん研究していらっしゃったんでしょうね。勝さんの部屋はいつも人で一杯でしたが、雷蔵さんはお化粧が出来上るまで、人を入れませんでしたね。それで思い出したことがあるんですが、『破戒』で雷蔵さんの相手役を新人の女の子がやると知った勝さんは、私を御自分の部屋に呼び出したんです。私、何事かと思って台本持って伺ったんですが、そうしたら勝さん、「君は今、大きなチャンスを頂いた。だけどもしこれで皆の期待に応じられなくても、決して悲観してはいけない。次のチャンスで頑張ればいいんだから固くなるな。自分たちが応援しているから、頑張ってやりなさい」っておっしゃたんです。雷蔵さんはそういうこと、一切おっしゃらず、私が「よろしくお願いします」とご挨拶すると、「ああ」ぐらいでした。
和久本 でも、雷蔵さんが藤村さんを推薦なさったんですよね。
藤村 でもそのことを私のまえで一言もおっしゃいませんでした。役作りのことは分かりませんが、雷蔵さんはセリフはいつも完璧に入っていました。勝さんは相手のセリフに合わせて喋るから、覚える必要がないって。変幻自在というか。
星川 勝さんいわく、「今日言っていることを明日また喋らなければならないのがドラマ、でも明日はべつのことを喋るのが人間」
和久本 それでも勝さんは雷蔵の演技に関しては、一歩も二歩も譲っていましたね。
星川 お互いが無いものを持っていましたからね。
藤村 お互いにお互いを一番認めていらっしゃったのでは。勝さんは、演技を「偶然の完全」とおっしゃるんですよね。作られたセリフを覚えて完璧にすらすらしゃべるばかりがいいのではない、口から自然と出てくるセリフが、例えつまったとしても当然のことだから、撮り直しをあえてするようなことはしないんです。大体のストーリーを掌握したら、その時のどんなリズムでセリフが出てくるのか、どんな仕草になるのか、その場で出てきたものを大事にしよう、と。
和久本 でも、偶然出てきたセリフということになると、映画の命というものはどうなるんでしょう。
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