祇園祭に偲ばれること
祇園囃子が京都の街に流れはじめると、いつも雷蔵さんのことが思い出されます。今年は早やもう23回忌を迎えることになりました。(註:1991年) - 今日は7月17日・・・
祇園祭の宵々山に当る今月15日、京都で雷蔵さんの二十三回忌を兼ね、偲ぶ会をやろうということになり、私も、星川清司さん、宮川一夫さんに従って発起人に名を連ねさせて頂くことになりました。丁度、この時期に、当誌「アルバムは語る」の写真と執筆の依頼をされたのです。
あれこれ思いめぐらしながらアルバム帳を操っていると、この一枚の写真が目に止まりました。なんとなく陽だまりに集った人達・・・静謐のひととき、と云った感じの写真です。 - それぞれ、坐ったり、しゃがんだり・・・。昭和42(1967)年大映京都撮影所のセットで写した映画『華岡青洲の妻』のメインスタッフの写真です。
題名の通り、青洲の妻(若尾文子)と、その姑(高峰秀子)との葛藤のドラマであって、医学の先駆者、華岡青洲(市川雷蔵)の役は、云わば筋運び、「もたれ役」と云った難しいキャラクターではあったのですが、雷蔵さんは従来の時代劇二枚目のイメージを破り、この学究の地味な役どころを堂々とやりこなし、作品としても、又俳優としてもこの年度の数々の受賞に輝いたことが思い出されます。
映画の内容は、当然、医学的史実に深くかかわっているだけに、美術の分野でも、その考証に多くの日数を費やしたのでした。和歌山医大で、「青洲」に関する資料、昔の麻酔・手術の方法・その道具等色々教わりました。印象的だったのは、この大学を辞しての帰りがけ、中庭に、青洲が苦労して開発した麻酔の原料、曼陀羅華の花が咲き乱れていたことでした。
この写真に写って居られる増村保造監督は、今は既に故人になられました。京都撮影所でも『刺青』とか『好色一代男』などユニークな作品を作られ、大そう期待されていた監督でした。雷蔵さんと共に、まだまだこれおからと云う折だけにその死が一層惜しまれてなりません。
写真は前列中央が市川雷蔵さん、右が高峰秀子さん、最右端が増村保造監督、後列左から四人目が筆者、一人おいて右が若尾文子さん。(註:高峰さんの右は撮影の小林節雄、増村監督の左は記録の木村恵美、後列左から助監督の宮嶋八蔵、編集の菅沼完二、照明の美間博、西岡さんの右は録音の大角正夫)
(23回忌・雷蔵さんを偲ぶ集いのパンフレットと挨拶をする西岡さん)