濡れ髪の半次郎
雷蔵さんのこの作品の魅力はやくざ剣法でも強い、濡れ髪の半次郎というやくざでの活躍だ。やくざ剣法は、いつも命がけだから強いのである。剣法の極意の一つに肉を斬らせて骨を斬り、骨を斬らせて、いのちを斬るというのがある。捨身の剣法、それがやくざ剣法なのである。
半次郎は、将軍の落とし子長之助を助ける。世継ぎの殿さんになる長之助に反対派の刺客がおそう。それを助けての江戸までの諧謔に富んだ物語りである。飛んだりはねたり、軽い気分でいつもいい男の半次郎の雷さんは、演技派雷蔵のもう片面の肩のはらない魅力の一面を、心やすくファンに呼びかけて来るのだ。
大映大作一本主義は強行された。よい映画をつくると、永田社長はラッパを鳴らした。よい映画とはときに楽しい映画であってよい。雷蔵さんの文句なしに楽しめて、髷をとれば、モダンボーイの雷さまである明るさと若さの映画はkぷして若いファンの前に登場する。正確さを愛する今日の時代精神は現代の若人のテツガクであろう。雷さんはその清新にピッタリのスターなのである。長谷川一夫さんが今や大御所のカンロクで、これにつづく人と言えば、雷蔵さんを指すのは、ジャーナリズムも一般ファンも、先刻ご承知である。魅力のいよいよ冴えて欲しいこの秋から来春への時間を、先ずファンは手近な作品から娯しくみつめようではないか。素顔の雷さまは実は若いハンサムである。そして大映京都の未来を背負う銀幕の優等生なのである。(X・Y・Z)
(近代映画59年9月号より)