2. 優雅な生活様式の再現
吉川氏はこの歴史小説のなかで、いわば、大きな平家一門という武家の“平家的性格”というものを深く追求しているのだ、ということを語っておりますが、ほんとうの武門、武士の社会ができ、同時に“武士道”というものが形づくられたのは、一般に、鎌倉幕府以後のことであるとされています。
儒教から“武士道精神”が生まれ、やがてそれを根幹として武家中心の政治が行われるようになったのですから、その前の時代である平家の時代は、今日私たちが考える武家ではなく、むしろもっと貴族に近いものだったといわれております。
だから、当時平家一門がもっていた弓や矢のようなものも、単に、自らを守るための道具であったわけで、これをもってどこと戦おうというような武器ではなかったようです。臣下が君主に殉じたり、あるいは「七たび生れて・・・」などというような思想は鎌倉以後のもので、平家の時代には、まだそういう言葉も生れていなかったのです。
そして、以上のような状態であったので、平家一門の生活様式や一般のならわしが、どうしても優雅に走り、美しく、ときには弱々しい性格で一貫していたことは当然だったといえましょう。それは、おそらく色彩については、やわらかく、きらびやかに、そしてなまめかしい色つやであったろうと考えられます。また衣服や髪のかたちや身のまわりの装身具も色々細緻を工夫を凝らしあっていたに違いありません。 |
そういう時代の生活をとりあげたこの歴史小説が、あの美しいトーンに満ちた大映カラーによって映画化されるならば、たぶん優雅な彩りが鮮やかに再現され、そこからこの時代の背景をながれる哀愁感が画面いっぱいにあふれでるであろうことは、たやすく予想されるのです。この点に、私たちの映画「新・平家物語」にかける大きな期待の一つがあるわけです。
いまでも、宮島の厳島神社に行くと、平家の遺物がたくさん残っているそうですが、そこで見られる太刀も、鎧も、あるいは文箱などにいたるまで、すべてがじつに優雅なものだといわれております。吉川氏は、それらと比べれば、現代の婦人の髪飾りなど、美しさの点で、とうていたちうちできないと語っていますが、そのような美しさをきめ細かく映し出すには、いま大映カラーをおいては他にはないでしょう。
その意味でも。私たちはこの雄大な歴史小説が大映カラーによって、映画化されることの大きな意義をみることができます。 |
3. 東洋固有の色彩
いままで、大映カラーが日本国内はもちろんのこと、世界各国で好評を博し、大きな反響をよんでいるのは、一つにはその東洋的な色彩構成のすばらしさによるものといえます。それは日本人にとっては長い間親しんできた色彩感覚であり、外国人にとっては東洋のエキゾチズムの象徴なのでありましょう。しかも、そこには他社にみられない、色彩映画への周到な準備と不断の研究の成果がつみかさねられております。従って、その技術水準の高さからいっても、私たちは大映カラーを世界に誇ってもいいと思います。
映画「新・平家物語」は、いわば新しい歴史上の社会と人間が、もっとも高度な技術をともなって表現されている点で、まさに芸術と技術のすばらしい結合を示すものだといえましょう。そして、青年清盛を中心としたこの映画は、膨大な「新・平家物語」の第一部をなしているわけですから、第二部、第三部とますます幽幻な世界が、これから先いっそう鮮やかに繰りひろげられて行くに違いありません。日本の色彩映画の豊な未来が、そのことのなかに暗示されているようです。