彼は勝新太郎の感情直入型と違って、理論派である。何にでも一理屈なくては済まぬ方なのである。それだけに、シナリオについても意見が多い。企画者たちの中には、これを厭がる者もいるが、僕はその反対である。彼は意見も、文句も、苦情も言うが、いつもサラリとして、あとを引かない。しつこい性格ではないのである。言いたいだけを言えば後はもうこだわらないのである。

 しかし、彼とても、いつも言いたいことの十を十まで言っているわけではない。遠慮する場合もあれば、言外に意を含ませて、あえて直接的表現方法を執らない場合もある。いつか『若き日の信長』というのを彼に書いた時のことである。

「おい雷ちゃん、意見を聞こうか」
と僕が言うと、彼は神妙な顔をして、

「はあ、結構過ぎて、何もありませんわ」

 と答えたが、実はこの「結構過ぎて」が曲者なのである。この中には、キチンと整い過ぎていて遊びがない、とか、お膳立てが出来過ぎていて面白味がない、とか、その他いろんな意味が含まれているのである。

 が、ともれ、「信長」は成功だったように思う。こうした文芸作品?では、も一つ『忠直卿行状記』も書いたが、これには彼の意見が大分入ったらしく、忠直が、自分の立場を弁明するようなせりふが、ラストに入っていて、ちょっと僕は興ざめだったが、彼自身「忠直」は適役だし、立派だった。それから、興行的には失敗したが、『手討』の青山播磨もよかった。こうした折目正しい侍(大名もあり、武将もあるが)に扮すると、おのずからそこにある格調が滲み出して来るが、これは彼のライバルである勝新太郎にも、また橋蔵や錦之助にもないもので、彼だけが身に備えている天稟である。

 そういった雷蔵ではあるが、僕個人にとっては、そういう折目正しい侍のものより、それを崩した『弁天小僧』だの『濡れ髪三度笠』などの方が思いでも深いし、好きでもある。

八尋不二(『大江山酒天童子』の頃)

(「百八人の侍-時代劇と45年-市川雷蔵」65年7月30日朝日新聞社刊より)