市川雷蔵のダンディズム
のっけから私事のエピソードで興を殺ぎかねないが、今から三十年ほど前、私が代々木のアパートに暮らして予備校に通っていた頃のことだ。
横浜の鶴見に家のある従兄が週に三日は泊まり込みで遊びに来ていた。新宿が近いから面白かったのだろう。彼は慶応大学の三年に在学中のバリバリの慶応ボーイだったのに、なにしろずぼらで風采が上がらない。髪は寝起きのままだし、濃いヒゲも面倒だと言って一週間に一度しか剃らない男だ。私のところに居る三日間は風呂にも入らず、洋服もおなじ物で通す。しかもセンスが悪い。東京の山男と私は呼んでからかっていたものだが、本当にひどいものだった。
その従兄がある日大きな荷物を持って現われた。翌日に新宿のどこかで学生主催のダンスパーティが行われると言うのだ。そのための荷物らしい。私はてっきりビンゴかなにかの景品が入っていると見ていたが、翌日予備校から戻って仰天した。目の前にぼさぼさの髪を綺麗にセットし、ヒゲをすっかり剃り、白いタキシードに似たスーツを華麗に着こなした従兄が立っていたのである。荷物はその服だったのだ。「おまえ雷蔵みたいだ」と思わず口にした。顔が似ているのではない。その変身の鮮やかさが私に市川雷蔵を連想させたのだ。
日本に映画スター数多くあれど、雷蔵ほど私生活の姿とスクリーンの姿とにギャップのある人間はいないだろう。芸能雑誌に登場する他のスターはいつでも夢の世界に暮らす住人のように着飾り、たとえ自宅でもスーツやドレス姿だったのに雷蔵は一人違った。白いYシャツにごく普通のズボンでカメラにおさまり、サラリーマンのように実用一点ばりのメガネをかけ、本当にどこにでもいそうなお兄さんでしかない。贔屓目に見ても小さな塾の生真面目な先生といった感じか。あの私生活の写真を眺めてうっとりする女性はまずいない。ここに写真を掲げたいと思うほど平凡人なのだ。顔もやたらと神経質そうで好感がもてない。市川雷蔵と知っているからプラス何点かの好感度がつけられるのであって、決して二枚目とは見えなかった。まぁ、こちらが若かったせいもある。
なのに−
映画館で見る雷蔵は滅茶苦茶カッコよかった。紛れもなく日本で一番の美男子に変身するのだ。ばかりか性格も変わる。その変身ぶりはに私は憧れた。いつから雷蔵の映画を追いかけるようになったのか忘れてしまったけれど、とにかく高校一年頃から雷蔵が亡くなってしまうまで一本も欠かさずに見たのだけは確かだ。普段は肩の力を抜いてごろごろと暮らし、ここぞというときは全身全霊でことに挑む。それが日本人の男というものだ。言ってみれば忠臣蔵の大石内蔵助、である。ぴしっと決めるのは一生に一度でいい。だからこそその瞬間が際立つ。
雷蔵の映画に、まさにそういう作品がある。『ある殺し屋』だ。日常はごく平凡な小料理屋の主人。使用人や客の評判もいい。が、彼の本当の仕事はプロの殺し屋で、闇の世界では日本一怖い男と名が広まっている。愛想のいい料理屋の主人が殺し屋に変貌すると、その冷酷さにヤクザ連中たちでさえ怯える。この映画、何回見たか分らないくらい好きだ。
『眠狂四郎』や『忍びの者』『陸軍中野学校』『若親分』『剣』三部作などなど好きなシリーズは山ほどあるが、それらはたいてい最初からその役柄で登場する。私生活とのギャップに惚れ惚れとして喝采はするものの、作品の中でのギャップはない。『ある殺し屋』の連作は、雷蔵の日常と見事に重なる。普通のお兄さんが実は日本一の大スター。ひょっとして『ある殺し屋』のアイデアは雷蔵の変身ぶりの凄さから思い付かれたものかも知れない。
裏を返せば、このギャップ、雷蔵の自分への自信から生れたものだろう。
仕事をきちんと果たしていれば私生活で見栄を張る必要がなくなる。才能のないタレントほど、自分を売れているように思わせたくて高価な装身具を身に纏う。雷蔵は日本一という自信を持っていた。だが、それはスクリーンの世界のことで日常とは無縁。むしろ日常とのギャップを楽しむ余裕すらあった。自分が、自分がと売り込むのが大方の芸能界にあって、なんと鮮やかで凄い人だったのだろうかとあらためて思う。
雷蔵とかつて仕事を一緒にしたことがある人と会う機会があった。
どんな人でしたか、私は訊ねた。彼は親しみの籠った微苦笑を浮かべ、「普通の人でしたよ。ごく普通」私はその言葉が限りなく嬉しかった。
雷蔵の生き方は美しい日本人とはなにかをきちんと示してくれている。
(「文藝春秋」02年2月号)