企画から撮影に入るまで - 『二十九人の喧嘩状』スタッフ・リレー -
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『二十九人の喧嘩状』に就て |
浅井 昭三郎 |
これは企画としては、至極ありふれた常識的な素材である。然し採り上げようと云うからには、夫々の抱負なり、狙いを持つことは当り前である。若い俳優を沢山出して、何か若々しい時代劇を作ろう・・・それがこの企画のはじまりである。そうした着点から、いろいろな素材を並べてみて、結論として出て来たのだが、集団やくざを描こうと云うことである。最もこうした企画の採り上げの前提には、興行価値と云うことが、絶対的な条件になっていることは勿論である。
集団やくざに着眼したのは、“沓掛時次郎”や“弥太郎笠”のような個人やくざと異なり、至極気の好い役がうんと慥えられると云うだけのことである。そしてこの集団やくざを扱った素材に、考えを絞って出て来たものが、一連の清水二十八人衆ものである。
脚本を八尋不二さんにお願いしたのは、こうした企画を二年ほど前に話してあったことがあり、種々の事情で映画化に至らなかったものもあったが、非常に明るいテンポの早い脚本をやって頂いたことがあったからである。
さて相当沢山ある清水の二十八人衆のものの中から、吉良の仁吉を選び出した理由は、ストーリーとしては、割合芯のあるものが出来ると云うメドをつけたからである。さて問題は、これをどう料理するかであるが、八尋さんと話し合った結果、やくざと結婚した女(仁吉の女房おきく)の哀しさ、はかなさをテーマにしようと云うことになった。
話は大方よく御存知のもの、大きくどう変えようもない。問題は採り上げる目である。さて現実の問題として、プロットからシナリオ迄の過程であるが、こうした素材だけに参考資料を山と積む必要はないが、と云って講談本一冊で、われ事なれり!と云う訳にもゆかない。
やはり長谷川伸氏の「素材素話」の中の「東海道遊侠伝」その他二、三のものは調べて、心構えと云うか、ひとつの当てをつけることは必要である。その上、さらに気をつけねばならぬのは、この種の素材が、特にひっかかり易い、映画倫理の問題である。やくざ同士の縄張り争いで、尊い人命のやりとりなど、法治国家の出来事としては、どうも具合が悪い。と云って、あまり映倫関係を顧慮し過ぎると、やくざものに必要な颯爽さがなくなる。正当な理屈づけをやり乍ら、尚且つ颯爽と、大向うの喝采を博する考慮が必要となる。
従って、登場人物の中に、権力を笠に着る汚職の悪代官を出そうではないか。または、清水の次郎長の、やくざの世界観をうたい上げよう・・・などと云うことになり、やくざの女房となった許りに、最愛の夫を失い、哀しみのドン底につき落とされるおきくの哀詩を描こうと、段々と段取りがついて来ると云う訳である。
実録によれば(どこまで実録かは知らぬが・・・)仁吉に助太刀を頼んだ張本人の、神戸の長吉は、臆病で逃げ廻り、あとで次郎長にお前の刀を抜いて見せろ・・・と所謂“刀改め”の件りがあるのだが、これも残念乍ら配役その他の考慮から、小心者だが、それ程の臆病ではないとした。
元々“吉良の仁吉は男伊達”とか“嫁と呼ばれてまだ三月”などと、往年流行した歌がある。ましてや出演者の一人に予定した勝新太郎は、コロムビアの専属歌手である。一丁主題歌もいれて派手にゆきましょう・・・となるのは当然である。問題は、冒頭にも記した通り若い役者をうんと出そうと云うので、八尋さんには大変御無理をお御願いし、出場は少なくてもいいから夫々仕どころを作って頂くことにした。
以上が企画立案のお膳立てで、あとは脚本の領分となる。