初めての現代劇で

三つの演技賞に輝く

市川雷蔵が昨年度(昭和33年)『炎上(市川崑監督)』『弁天小僧(伊藤大輔監督)』などの演技が認められ、キネマ旬報・NHK・ブルーリボンと三つの男優賞を獲得した。

受賞の対象となった作品は、三島由紀夫原作「金閣寺」を映画化したもので、雷蔵にとっては現代劇初主演、しかも、吃音で異常な美意識に捕われている主人公を、かなり内面から表現し成功している。

関西歌舞伎の市川九団次の息子で、十六の時筵蔵を名乗って初舞台を踏み、その後、市川寿海の養子となって雷蔵を襲名した。映画界入りは1954年八月、大映で『花の白虎隊』に初出演して、現在まで五十余本の作品に出ている。

もともと、現代劇の美剣士スターが売りもの。多くの作品で、イキのいい剣士ぶりをみせているが、一般に時代劇俳優は、娯楽映画に使われ、演技力は二の次にみられがちだ。ヅラの見えがよく、殺陣の」歯切れがよければ、大衆人気はつかむことができるのだが、雷蔵は今度の受賞について、

「決して偶然の幸運とのみは言えません。というのは、安易な時代劇の美剣士に安住したくなかったので、どうしても『金閣寺』をやりたいと思い、市川監督とともに一年間、会社に粘ったのです。だから『炎上』は、私にとって努力の結果であり、むしろ勝ち取った喜びです」

ブルーリボン賞授賞式(1959年2月5日)

と答えている。この言葉でも分るように、なかなか向こう気の強い青年である。そして、毒舌家だ。

「古い、腰の低い、芸人根性がいやですね」

と云い切る。強度の近視で眼鏡は外せない。一見、時代劇スターというより神経質な都会の近代青年といったタイプ。スタジオの評判は、“シンが強く、勉強家だ”そうだ。京都での撮影が終ると、東京の雑踏の中に出てきて近代感覚を身につける努力もしている。そういったことや、映画入り前、大阪歌舞伎で扇雀、鶴之助とともに、武智鉄二のきびしい指導を受けたことが、こんどの栄誉に大きく作用しているのだろう。賞を三つもとって、これから荷が重くなるんじゃないかと聞くと、

「さあ、荷が重いように会社が考えてくれるといいですがね。かえって逆に“これで芸術づかれては困る”というんで、娯楽作品ばかり立て続けに出されるかもしれないし、とにかく、会社任せですからね」

となかなか皮肉をいう。

大映では年に一、二本は彼の芸術的良心を満足させるようなものを考えているようだ。

「しかし『炎上』のようなピッタリしたものは、そうあるわけでなく、今後が難しいですね。かといってこんどのような成功を、長い俳優生活で一度だけで終らせたくない」

と野心満々。現在、西鶴の『好色一代男』が決定しているが、どのような世之助を演じるか楽しみである。(1959年中日新聞より)