銀行マン雷蔵

初めて雷蔵君に逢ったのは、彼がカブキの世界から映画の世界へ転じようと心に決めたころのことだった。何のきっかけだか忘れたが、ある日、当時私が勤めていた読売新聞の娯楽部に電話があって、相談したいとのことだった。どこで逢おうかと聞くと、あまり銀座はくわしくなく、行きつけの店もないとのことだから、では、私の知ってるバーで逢おうということになった。

彼は一人で先に来ていた。もちろん、その店は初めて。私が行くと、水の入ったコップを前に整然と腰を下ろしていた。店の人がこっそり私に耳うちした。「あの方は芸能界の方じゃないですね。雑誌の方でもないし、といって貴方のおつきあいだから、まさか銀行の方でもないでしょうし・・・」なるほど、そういえば銀行マンとった方が通る感じだ。

「君、銀行屋さんと間違えられたらしいよ」というと、「そうですか、それではその気持ちで芝居しますか」といい、店の人が来ると、ことさら「定期の期日のこともありますから」とか、「利回りからゆくと・・・」とか、とぼけたことを大真面目に口にしていた。

この時のバーの人の錯覚、その時の彼のシャレッ気、これは、その後、ずーっと雷蔵君とつきあううちに、いつまでも私には感じられる“雷蔵イメージ”だった。

ふだんもそう、舞台でも、スクリーンでも、いたって生真面目、いうなれば“楷書”の人だ。しかし、その“楷書”の字体が、いつも正しく、きちんとしていながら、ひょんなところに、何ともいえぬ柔らかさ、優しさ、おもわずプーッと吹き出すようなユーモアな“味”がにじみ出る雷蔵君に、私は人間として、また俳優として魅力を
感じた。

日生劇場での「勧進帳」の富樫の格調ある明晰な台詞と動き、また「新・平家物語」「炎上」でのオーソドックスな演技に対し、「ぼんち」「大阪物語」の柔らかさ、そして、“濡れ髪シリーズ”でのユーモアあふれるユニークな雷蔵と、彼の演技の巾は相当の広さをもっていた。

年令的にいっても、これからという時に、彼は忽然とわれわれの前から消え去った。だが、私たちの“市川雷蔵”は、テレビの再放送に、また、このようなLPでも、われわれの目に、耳に、いや、心のうちに今もなお生きている。