あゝ、狂四郎
雷蔵さんとは、同じ関西歌舞伎出身ということもあって、歳は離れていても弟のゆに随分可愛がって貰ったし、世話にもなった。彼が読んだあとの「のらくろ」その他の漫画をよく持ってきて貰っていた頃からのお交際(つきあい)である。
大映で「鼠小僧」を撮ったときも、親身になって相談に乗ってくれ、その上、私のためにいろいろと企画を立ててもらった。
「新・鞍馬天狗」もその一つで、わざわざ私に立ててもらったものなのに、私と東宝との契約問題で揉めて、そのまま立消えになりかけたところ、雷蔵さんが、
「与一ちゃんが出来ないのなら、企画も通ったことでもあるし、僕がやろう」
と言って、あの映画になったものである。このことは、裏返せば、雷蔵さんの演ったものだったら、私にも演って演れないこともないという、役柄の相似点があるということになる。雷蔵さんに、敬服する兄のような憧れを持つ私は、いまだに彼の演ったものは何でも自分で演りたい気持が離れない。
「遊太郎巷談」や「金閣寺」が先ず浮かぶし、「ひとり狼」が好き、「ぼんち」「若親分」が演りたい。「桃太郎侍」も魅力があるし「弁天小僧」のあのチンピラ的弁天小僧も、演ってみたくて仕方がない。日生の舞台で見た「富樫」も目に残っていて、是非やりたい。
要するに、どれもこれも演りたいのである。中でも「眠狂四郎」に至っては、昔からあの小説が大好きで、大人になったら演りたいなと思っていたのが、雷蔵さんの狂四郎を見たら、これはとてもかなわないと、潔く兜を脱いでしまった。それだけに、亡くなった後、同じ大映で松方弘樹さんが狂四郎を演った時、自分で演りたくて現実に出来ない口惜しさといったらなかった。
その後、漸く舞台で狂四郎を演ることが出来、宿願の一端を果したわけだが、映画の上では勝負にならなくても、舞台だったらまた違った狂四郎を演ることも出来ると考えたからである。
それでも演る前には、随分と雷蔵さんの狂四郎を、もう一度映画館やテレビの深夜放送でも見たし、田村正和君のも見た。結論的に感じたことは、雷蔵さんと私は一見役柄が似ていているようでも、彼は冷たいものの出せる人だし、私はつい甘くなってしまう方だ、というわけで、そんな私なりの狂四郎像を作り上げた次第である。
評判もまずまずだったし、原作者の柴田錬三郎先生も、
「まあ良く出来ている方ではないか」
と言って帰られたが、もちろん、私はそれで満足しているわけではない。また、仮りにそれがどうあっても、映画の中での狂四郎は、あの雷蔵さんを越えることはとても出来ないと諦めている。おそらくは、誰が演っても−ではないだろうか。(眠狂四郎 市川雷蔵・魅力のすべて 解説書より)