美しい死

冗談の好きな人でした。

撮影の合間、ふざけて笑いをまき散らしている人でした。

純真な笑顔が、周囲の人を惹きつける温かい人でした。けれども、本番になると、きびしさと、精密機械のような正確さと冷たさがみなぎる人でした。同じ会社にいながら、雷蔵さんとは仕事でご一緒だったことは、ほんのわずかしかありません。その数少ない作品の中で、忘れられない三つの作品があります。「千姫」「ぼんち」「千羽鶴」です。

昭和二十九年の夏、京都撮影所で「千姫」の撮影が始まった時、秀頼役の青年に紹介されました。うだるような残暑の中で市川雷蔵という青年俳優が、凛とした姿で立っていたのが印象深く目の底に灼きついております。

はなやかさはないが、清潔で、気品にあふれているその美しい横顔に、悲壮と孤独な影を宿したこの青年は、きっと大成するのではないかと私はふと思いました。

「ぼんち」では、かっての目もとの涼しい青年雷蔵さんは、押しも押されぬ主役俳優としての自信と貫禄を身につけていらっしゃいました。撮影待ちの間、たえず冗談を言ってはまわりの人たちを笑わせる雷蔵さんの明るい面を発見したのも、「ぼんち」でご一緒したお蔭でした。

「千羽鶴」は、昭和四十三年、川端康成先生がノーベル文学賞を受賞されたのを記念して、翌昭和四十四年二月に製作されることになりました。衣裳調べで、久方ぶりに雷蔵さんにお目にかかりました。病後とはとても思えないほど張り切っておられましたが、たった一つ気がかりだったのは、普段の雷蔵さんらしい明るい笑顔と冗談が飛び出さないことでした。でも、数年前から「千羽鶴」をおやりになりたかったとのこと、気合が入っていらっしゃるのだと、単純に考えておりました。

その頃、雷蔵さんが、肉体的苦痛と懸命に闘っておられたことに気づかなかったのが悔まれてなりません。

千羽鶴の祈りも空しく雷蔵さんは飛び去ってしまわれました。「美しい死」が、この世にあるとすれば、雷蔵さんの死は、まさに「美しい死」と言えるのではないでしょうか。なぜなら、美しい死は、永劫の生へとつながるからです。

雷蔵さんは「永劫の生」を生きておられるのです。雷蔵さんが遺された百数十本の映画の中に、雷蔵さんは、あの美しさと清冽さを永久に保って生きておられるからです。