未完におわった“関の弥太っぺ”

ふわふわと宙に浮くような雷ちゃんの歩きぶりが、目に残っています。よく所内をゆかたがけで、素足に下駄を突っかけて、心もち上半身を前のめり気味に、何ともしまりのない顔を運んでゆくのでした。その姿からは、とてもスクリーン上のきりっとした市川雷蔵など想像もつきません。髪の毛が細く、眉もこくなく、目も一重だったので、長ての卵のような顔の輪郭と相まって、何ともしまりのない顔つきになるのでした。それに、なぜ肩でしたし、骨細で、どんなに肥えていた時期でも、たくましさとは縁の遠い存在でした。裸になると背骨がゆるやかに外へと曲がっていました。ごく軽い猫背だったのでしょう。

「剣」という作品で、雷ちゃんが大学剣道部の学生に扮したとき、合宿訓練のシーンがあり、お寺の庭でロケーションをしたのですが、ほんとうの剣道部の学生たちをエキストラにして、腕立て伏せ三十回を一カットに撮ったことがあります。撮影は二月でしたが、真夏のシーンだったので、皆は上半身裸です。雷ちゃんの「ごく軽い猫背」がむき出しになり、痛々しく私の目に迫りました。まわりの本ものの剣道部員たちがのびやかな背を力強く上下させるのに負けまい、と雷ちゃんも力を入れて腕立て伏せを繰り返します。が二十回目をこすあたりから次第にテンポが乱れ、屈伸する腕の筋肉がこわばって、かすかなふるえをともないはじめました。顔に紅味がひろがり、口をかみしめて、首血管が太く浮き上がっています。晴天とはいえ、二月の寒空に背が汗ばんでいるのです。見ている私も息苦しく雷ちゃんとともにこの苦行に耐える思いで、ようやく三十回を数えてカットを掛けました。当初二十回ももたないのではないかと危惧したのに、苦しい三十回を耐え切って、「うわーっしんど」と笑って立ち上がったのです。その時、「ごく軽い猫背」から痛々しさの影は消え、精気に満ちた輝かしいものとして私の目を射るのでした。

雷ちゃんの脚は明らかにX型でしたし、尻の肉も貧弱で、足はべた足とマイナスの条件が揃っていましたから、ふわふわと宙に浮くような歩き方も故ないことではありません。三尺もので尻をからげて歩くと、膝のあたりから、よれてもつれるような感じがしました。立ち回りをやっても腰が決まらず、よろけたりするのです。

大映でスタートした頃は股旅ものが盛んでしたから、そういう役を演ずることが多く、そのたびに会社も心配して、弱い下半身を目立たさぬように撮れとやかましく言ったものです。われわれの方も俳優のいろいろな欠点を探り出して、それをカバーした撮り方を工夫し、よい面のみを強調してゆくのがスターづくりに欠かせないことと心得ていましたから、雷ちゃんの膝あたりが隠れるようなポジションを、しきりに捜したものです。そういうとき、雷ちゃんが知ってはつらかろうと気を使って、キャメラマンとひそかに打ち合わせするのですが、間もなく雷ちゃんの方で感づくようになり、ピリッと嫌な表情が顔を走るのでした。

スターとして売り出そうというときに、肉体上の大きな欠点を自覚することは、どんなにつらかったでしょう。その欠点を克服しようと、ずいぶん努力もしたようですが大半は徒労に終わったようです。そのかわり、一時期をすぎると、そうしたことに対する嫌悪感が払拭され、特別なポジションにも表情にかげりの現われることがなくなりました。慣れたこともありましょうが、それよりもスターとして俳優としての実力と自信が培われた結果、肉体的欠陥はそれとして甘受し、なおそれを乗り越えるものへと指向していったように思えます。後には立ち回りで思うように動けず失敗すると、「わあーっ、脚がもつれるわ」と言ってスタッフを笑わせるようにさえなりました。持ち前の稚気が苦さにとってかわったのです。

「眠狂四郎勝負」のとき、入浴中に刺客に襲われ、危機一髪で相手を倒すシーンがありましたが、「水泳パンツでもはいて湯に入ってください」とか言うと、「そんなもん、めんどうくさい」とか「気分が出えへん」とか言って、すっぽり丸裸になって浴槽へつかってしまいました。さてカットを終えると、さあっと前向きに上がってきたものです。皆があっとなるのへすかさず破顔一笑「どや、わしのはきれいやろ」と突っ立って見せるのです。なるほど、尋常な茂みから顔を出しているそれは、張りがあって形よく、湯上りに上気した色あいもまた鮮かでした。一同爆笑、ワイワイ、キャアキャアとにぎやかなことったらありません。

こうした雷ちゃんの稚気は、強く虚飾を嫌う性格に根ざしていたように思えます。それが、他に対しては時にきびしい言動ともなりましたが、そのかわり自己に対しても呵責なく、ありのままに自己を見つめ、その上で自己を乗り越えようとする不断の努力があり、それが演技面に現われて、きゃしゃな躰に似合わぬ張りを生んでいたのではないでしょうか。

昭和四十三年初夏、雷ちゃんと私の最後の仕事を迎えました。長谷川伸原作の「関の弥太っぺ」で、完成していれば十八本目のコンビ作になる予定でした。クランクインは五月十七日。晴天に恵まれてロケが進み、毎日のように山や河原に出掛けましたが、同月二十九日、この日も琵琶湖湖岸野洲川の河口で立回りシーンを撮り終わって帰途、撮影所の向かいの喫茶店でコーヒーを飲んでいると、雷ちゃんが来合わせ、「実はね、黙ってたけど、つろうてかないまへんね」といい出したのです。

医者に直腸潰瘍といわれていて、前から時々出血することがあるが、最近はひどくなって一日に五回くらい便意をもよおし、そのたびに粘液と血がざあーっと出る。小便をしても、プーッとおならをともなって血が出るので、ロケ地で立ち小便をすることもできない。直腸が悪いだけで栄養の吸収はできているわけだが、なにしろ痛むし、出血が続くので貧血を起す-というのです。

そんな体で、あの山中の険しい小道を、渓谷の岩場を、石ころに埋まった河原を、駆け、飛び、立回りしていたのかと私はびっくりしました。そんな様子は誰にも感じさせてもいなかったのです。

「私の腸は生まれつき弱いんですよ。子供の頃に医者にいわれました。なんていうか腸の皮が薄うてすきとおるような、兎の腸みたいなんやそうですわ」-だから、うんこもやわらこうて、細いのしか出たことがないと、その時雷ちゃんがつけ加えて話していました。

さっそく、ちゃんとしたところで、精密検査を受けるようにすすめ、翌日から雷ちゃんの出ないシーンをひろいながら結果を待ちましたが、六月三日になって、雷ちゃんは手術することになり、作品は主役をかえて完成さすよう、会社から決定してきました。かくて雷ちゃんの「関の弥太っぺ」は片々たるラッシュフイルムにのみとどまり、私との出合いは終わりました。

ふわふわと宙に浮くような雷ちゃんの歩きぶりに、その人柄がからまって忘れることができません。