雷ちゃんのことども
直接雷ちゃんから聞いたことはないが、私が彼から感じることは、彼が映画に出ているとき自分の映画を撮るという事よりも、むしろその映画、その作品全体に愛着を持っているのではないか、ということがピンと来ます。だからこそ、監督を初めわれわれスタッフの意見というものを大変尊重して素直に聞き入れるのではないかと思われます。とにかく、作品の一本一本に限りない愛着を持っているようです。
それから、雷ちゃんの現われるところ、いつも、どこでもスタッフ全体がとても和やかな空気に包まれてしまいます。そういった雰囲気を巧まずして、極く自然にかもし出す不思議な魅力を雷ちゃんは身体の何処かにそなえているようです。『新・平家物語』当時の雷ちゃんはさすがに溝口監督を意識しすぎたのか、いくらか固くなった感じが見てとれましたが、近ごろでは、いい意味でのゆとりが出来、映画特有のテクニックをすっかり身につけて、演技的にもグンと巾が出来て来ました。
雷ちゃんが八ミリの小型撮影機を愛用していることも、そうした意味で大変プラスになったのではないかと思います。芸の巾が出来たということは、演技の抽出しが増えて来たことになりますが、私が雷ちゃんに望みたい事hあ、いくら抽出しが増えて来ても、安易にその抽出しの何処かから演技を探し出して来るのでなく、絶えず新しい抽出しを作って行ってほしいということです。
雷ちゃんはよく時代劇も現代劇もどちらもやって行きたいといっていますが、私もそれは大いにやってほしいと思います。この両方をやって行くところに、新しい演技が生まれてくるからです。例えば市川崑監督が時代劇を撮ったらどうなるかというようなことを想像するのと同じように、現代人の雷ちゃんが時代劇に現代調をうまくミックスして行くことによって、新しい時代劇が生まれてくるにちがいありません。ですから私も雷ちゃんに所謂時代劇スターになってもらいたくありません。又彼は、きっとそうはならないと信じます。
京都市北区紫野の西向寺にある宮川家墓