教えられることの多かった雷蔵さんの言葉

私が雷蔵さんと初めて顔を合わせましたのは、今から十年前。正確なデータはちょっと忘れてしまいましたが、「スターとしての心得を語る」といったようなもので、ある雑誌社の座談会の席上でお眼にかかったのです。雷蔵さんは、タイガースのファンであると聞いていましたので、初対面でしたけれど、くだけた雰囲気の中で話が進行しました。阪神に入団して三年目、ようやく一人前の投手として投げられるようになり“エース”と言われるようになっていた私ですが、スターの心得について語る雷蔵さんとの対談は、私にとって、よい教訓になりました。

投手もそうだが、監督の立場でも、試合中の毎日は、まさに孤独との戦いの連続であります。一方、人気商売という意味では、責任との戦いでもあります−これが、永年に渉って映画界の大スターとしての位置を守り続けた雷蔵さんが発言された言葉と全く一致しました。対談中は、ズケズケと物を言い、竹を割ったようなさっぱりした雷蔵さんに、私はすっかり魅せられてしまい、以来、雷蔵さんとの交遊が始まりました。

私たち試合中は、ナイターになりますと、昼間の時間を持てあますことがありますが、こういった時は、つとめて雷蔵さんの映画を見ました。私の見た映画の中では、「眠狂四郎円月斬り」などは、勝負に生きる私をひきつけた作品です。

雷蔵さんの映画には、何となく味のある雰囲気が画面ににじみ出ています。これはやはり雷蔵さん自身が持っている風格から来るものだと、何時も感心しながら見ていました。

雷蔵さんが亡くなられて三年目、テレビの深夜放送で出演映画を見るにつけ在りし日の雷蔵さんの想い出して感無量ですが、あの雷蔵さんのまろやかな台詞がテレビから流れてくる時、私は十年前に対面した頃の私を思い出し、きびしく初心を忘れることなく自戒している次第です。(追悼のレコードより)