太田吉哉のこと

 「日本人がどんなに、たんと牛肉を食べるか、知ったはりますか?・・・・今の日本の牛の数ではとてもまかないきれまへんそうでっせ・・・・牛は頭の先から、しっぽまで、全部役に立ちまっせ。そう鯨、みたいなもんですわ。牛、牛を飼いまひょう・・・・大きな牧場、牧草の十分あるところで。そして加工工場・・・・流れ作業ですがな・・・・そんなん、やる人知ってまんね。紹介しまっさかい会うとくれやす・・・・京都の人どす。それや-牛肉ちうたら大変なもんでっせ。これ・・・・企業として十分、成り立ちまっせ。もうけは大きい、人様には喜ばれる、立派に国策にも合致しまっせ・・・・そや、副社長、あんたは丑どしでっしゃろ、ほななおさら、ピッタリや。絶対、相性がよろしおす。やりなはれ、いや、やっとくれやす。そうして、大いにもうけて、わしらに、ええ映画を撮らしとくれやす・・・・ほな、手頃な場所の図面と計画書、すぐにとどけさせます。よろしゅうたのみまっせ・・・・じゃ、またきます、さいなら」

 恐しく威勢のいい勢いで、言いたいことをまくし立てて、あの美声の余韻を残して部屋を出ていったのも、ついこの間。

 「雷蔵さんから、書類がとどきました」

 裏にはなんと、太田吉哉、この新企業の経営者として、本名を連ねてきたかと、またあきれました。鞄を持って歩けば、銀行マンの出勤姿という感じの彼、常々、こんな企画を考えながら歩くから、なおさら、そう見られたのかもしれません。

 故河野一郎大臣のお声がかりで、農林省や、牧畜・畜産の専門家に彼の計画書を話しましたところ・・・・まさにその通り、多少問題はあるが、これをこうすればまことに結構、政府行政案にも沿っているとの返答・・・・最後に、もうけでいい映画を作るうんぬんはにはさすがの大臣も呵々大笑・・・・雷蔵君らしいが、目のつけ所はまことに立派、永田社長の方が見習わなきゃならん・・・・。

 社会人として立派に通じた雷蔵君は、家庭人としても模範的な人でした。そんな彼も、子供のしつけ、教育方法で、私に叱られたときから、顔を見るたびに、「あの子はこうで、この子がこうです、どんなもんです?」いつも二人きりになればその相談、小学校、中学、高校、大学と一人一人の子供の成長に合わせた計画・・・・十日も会わないと、近頃こんな傾向だけど、あれでいいのか、こんな大学に進ませたほうがいいんじゃないか?「雷蔵さん、チビ達は、まだ幼稚園と赤ん坊だよ。今からそうきめ込みなさんな。雑草、雑草のように思う存分好きなように育ててやろうよ。時にはふまれても、手助けしないで、一人ではい上がる力、強く正しい人間に育てなさいよ」

 今、太田家の遺児は、大変丈夫に、たくましく、ひょっとすると雷蔵君の想像以上に、育っているかと、心ひそかに自慢し、今日も末っ児のお誕生祝いのケーキを持って行くところです。