雷蔵さんという人 永田秀雅
暮のお話しで恐れ入りますが、私がじかにふれた素顔の雷蔵さんの次の一コマをお読み取り下さい。
・・・年の瀬もいっぱいに押し迫り、師走の風も心なし強く、行き交う人の姿も何となくあわただしさを増す夜のこと・・・帝国ホテルでの所用を終えた私はホテルのロビーでいらいらした人待ち顔の一人の大映宣伝部員の姿を認めた。聞けば、
“某放送局の仕事で今夜若尾文子さんと川口浩さんの対談を録音するため、ここで待合せをしたのですが、川口さんがどうしたのか未だに現われず、何か事故があったのではないかと心配しながらも、約束の時間は刻々とせまっているし、局の方が先刻からお待ちだし、どうしたらいいのか困ってます。”
という。
ちょうどその時、同ホテルでの会談を終えた永田社長と雷蔵さんが来合せた。
「どうしたんだ・・・」
ということから、かくかくしかじか・・・若尾さん一人で困っている事情を知った雷蔵さんは間髪を入れず、
「社長!どうでしょう、一対談といえども視聴者の皆さんや放送局の方々にご迷惑をおかけすることは、結局は大映の信用にもかかわりましょう。幸い私は十分や二十分の時間なら余裕もありますから、私でよかったらかわりに若尾さんと対談をしましょう」
雷蔵さんのこの申し出に、
「そうか、ありがとう本当にありがとう」
言葉こそ少なかったが、社長の言葉のなかには満腔の感謝がこめられていた。瞬時のこのやりとりが宣伝部員の顔に生気を蘇えらせ、私自身をホッとさせたことは云うまでもない。
対談は無事に終った。勿論録音は大成功、視聴者の方々も大喜びで・・・。かくて翌十二月三十日夜半、雷蔵さんはファンの待つ、ハワイへ旅立っていった。
仕事に関しては飽くことなき意欲をもやし、芸に関しては厳しいまでの精進を続ける雷蔵さん、家庭あってはご尊父市川寿海さんの子として、なすべき孝養の総てを捧げつくす温和な人となり。
常日頃のこの心掛け、ものの考え方は、遠くハワイのファンの方々にも好感を持たれたのでしょう。一・二・三日の国際劇場での舞台でのご挨拶は稀にみる大盛況だったと、外電が伝えて来た。聞くところによれば、最近ハワイに立寄る日本の芸能人が、必ずしも好意をもたれているわけでも無く、かえって破廉恥な行動が非難の的とさえなっているというとき、雷蔵さんの良識ある、行動がハワイの一世、二世、三世の方々に大歓迎されたことは当然のことであり、多くの感謝の手紙や電報、電話を頂いたとは、一人大映の俳優としてだけではなく、日本の芸能人を代表する天下の雷蔵さんとして私は最大の拍手喝采を贈りたい。
最後に1960年の年頭に当り更に大きな飛躍と幸多かれと祈るものであります。