奇しき符号
「母上、母上ならご存じの筈だ。教えて下さい。一体私の父は誰なのですか?」
昭和三十年の夏。大映京都の第四ステージでは、天然色用の数十のライトがまばゆいばかりに集中する中で、『新。・平家物語』の忠盛の家の奥の間のシーンが、今や撮影たけなわであった。
忠盛の妻泰子に扮した木暮実千代が、子供の清盛に辱められたと云って、大矢市次郎の忠盛に、離縁を迫る。清盛に扮する市川雷蔵は、自分の父が忠盛でなく、泰子がまだ祇園の女御と云った頃、寵を受けた白河上皇が父か、忍びあった八坂の悪僧が父か、と泰子に詰寄る。溝口監督の演出は慎重で。朝からテストが何度繰返されたことか。
思えば奇しき符号であった。雷蔵にとって一世一代と云っていい、此の『新・平家物語』の清盛役は、二人の父がある故に悩む青年の役であった。清盛には父が二人あった。本当の父は白河上皇であり、育ての親は平忠盛だった。ところが自分には父も母も三人ある。
先刻から、何度も繰返したセリフを、また繰返しながら、雷蔵は四年前の、あの運命的な晩春の一日のことを思い出していた。
「お父さん、お母さん、私は少しも知りませんでした。私はお父さんやお母さんの本当の子ではなかったのですね。今迄、何も知らないで我ままばかり云って申訳ありませんでした」
雷蔵は父の九団次と、母のはなの前に両手をついた。
その日雷蔵は、大阪中之島公園の家庭裁判所から呼び出しを受け、何気ない気持で出かけて行った。要件は今度、雷蔵の父市川九団次と、関西歌舞伎の名門市川寿海との間に、めでたく雷蔵を養子縁組させる話がまとまった事に就いてであった。養子縁組の届けがあると、家庭裁判所では、一応当事者双方を呼出して事情を聴取する。そこで雷蔵は裁判官から戸籍謄本を見せられ、初めて自分が市川九団次の養子である事を知ったのだった。九団次もその事に就いては、雷蔵にいたずらに肩身の狭い思いをさせてもと、今迄うちあけた事もなかったし、雷蔵の知らなかったのも無理のない話であった。
一体、自分の本当の母は、父は誰なのだろう?そこで雷蔵は父の九団次が打ちあけた事情は、次のようなものであった。
雷蔵は昭和六年の八月二十九日、京都市中京区西木屋町神屋町に高らかな産声をあげた。父は九団次の妻の弟で、まだ雷蔵が母の胎内に居る頃、その父が亡くなったので、かわいそうに思った九団次夫妻が、子供ないのを幸い、生れ落ちると同時に雷蔵を養子として引取り、実子同様に育てたのであった。
雷蔵はこの話を聞き、今更のように、深く九団次夫婦の慈愛を感ぜずにはいられなかった。これは今迄、雷蔵ファンにも、殆ど知られていない事実である。先にも一寸ふれたように、雷蔵は昭和二十六年の四月末に市川寿海との養子縁組が決ったから、生みの親が二人と、育ての親が四人あるわけだった。思えば市川雷蔵も、子供の時から数奇な運命の持主であった。
デビュー作『花の白虎隊』で峰幸子さんと共演
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