苦難の門 |
雷蔵の初期のイメージ |
三十年度の『次男坊鴉』からはじまって、雷蔵の初期のイメージは、ダダっ子、きかん坊、といったものだった。これは初めてのカラー『新平家物語』の若い日の平清盛にもはっきり現われているし『編笠権八』の平井権八にもこの性格が出ている。
吉川英治の『新平家物語』で清盛を熱演したころの彼
初頭の彼の作品でもっとも印象にのこっているのは溝口健二監督がやるはずだった『大阪物語』だった。溝口の急逝で、吉村公三郎監督にかわったが、わたしはこの種の作品が好きである。そうしてこの映画の血液は、雷蔵にとってあとまで脈うつことになる。
三十一年前後の雷蔵の新鮮さは、みていて胸のうく思いだった。たとえば『花の渡り鳥』で長谷川一夫と共演した作品をおぼえているとおもう。また『弥太郎笠』や『鳴門秘帖』などの歯切れのいい股旅物や、凛とした気質が見ている側にもわかる若侍ぶりは忘れられない。
若き日の雷蔵の面影を伝える『花の渡り鳥』は30年末
映画にはいって三年、彼もまた誰でもそうであるように『忠臣蔵』の浅野を演じた。いかにも彼らしい癇のはげしい殿さまだった。
33年4月『忠臣蔵』 浅野内匠頭で山本富士子と共演
また同じようにスターになりたて、人気の上昇気流にのったとき、誰もがやらされるおどろくべき量産期にはいった。三十二年に十本、三十三年には、なんと十二本、まさに殺人的といってもいいだろう。このような時期にそれらの映画の質についていうのはヤボにすぎよう。どんなスターも一度は通らなければならない安宅の関である。