ある成就
その“幅”と“深さ”

 それでも次の年の春、同じく市川崑監督で『ぼんち』に主演したときは、雷蔵にとっても心に花の咲く思いがしただろうと思う。『ぼんち』は雷蔵のホーム・グラウンドであった。彼はこの世界に少年時代を生きてきた。何ともいえない底の深い、のびのびした演技が楽しかった。この世界は現代の西鶴とも云えるものだった。

山本富士子と鏡花の世界を映画いた『歌行燈』でも好演

 これと対照的なのは『歌行燈』(衣笠貞之助監督)である。わたしはこの映画は割にすきなほうだが、それはあくまで個人の、明治生まれのものの感懐で、別なところでは、このような人工美はやり切れないという気もあった。まして、『安珍と清姫』になると、大映の幹部がまるで雷蔵をワヤにするために骨を折っているのではないかと疑いたくなるほどだった。どうせやるなら『切られ与三郎』や『忠直卿行状記』のほうがはるかにましだ。『大菩薩峠』三部作も、この年からはじまった。

35年12月『大菩薩峠』で机竜之助を演じ中村玉緒と・・・

 増村保造監督、雷蔵主演の『好色一代男』は雷蔵にとってやり甲斐あるものだったろうが、これは舌っ足らずで残念だった。『沓掛時次郎』『鯉名の銀平』のような極め付けの股旅ものは、やっぱりそれなりにおもしろい。

37年7月の『忍びの者』は彼の新しいシリーズとして

 『破戒』(市川崑監督)はこの時期の雷蔵の頂点を示すものだといっていい。彼はここで思いっ切り自分を出した。それと山本薩夫監督の『忍びの者』は彼にとってひとつの示唆になった作品だろう。忍術映画もこういう風につくれるというサンプルみたいなものである。

柴田錬三郎の『眠狂四郎』は市川雷蔵の極めつきのシリーズに

 いま雷蔵主演で畠山清行原作の『中野学校』が準備されていると聞く。このドキュメンタリー・エピソード集のどの部分をとりあげるのか知らないが、雷蔵の新しい面が拓かれるととになるならこれに増すよろこびはない。