あの日あの時
この京都の舞台に立つと思い出されるのは雷ちゃんの事です。
映画は足跡残っても必ずしもいい面だけが残されないでしょう、例えば失敗作だって又、心に染らなかった作品だって残ってしまいます。撮り直しはきかないし。会社の命令では本意ないものでも出ざるを得なかったし、ましてドル箱スターだった彼は好きこのみでえらぶ事は出来なかった!それだけに辛い面もあったと思います。
好きなテーマを自分でプロデュースして作る映画、若くして逝くと分っていたならば納得のいく映画を作り残したかったでしょうに!と。
舞台は毎日が精進です。今日よりは明日、明日よりは次と工夫を重ねてより良い芸技をする事が出来ます。観客の反応も直接ですしこの生の迫力と緊張感−もともと芝居の人であったし「舞台が好き」と云っていた雷ちゃんです。映画の上に築いた実績を併せてあの声量と容姿の磨かれた芝居を舞台の上に飾って、絶頂期の花を実らせてあげたかった!
よく冗談も云いあい、遊びも一緒だった雷ちゃんはしかし、何時の間にか台詞をキチッと暗記していました。あの「花の兄弟」の時でも立廻りでクタクタ「もうかんにんして」と云いながら翌日はスラスラと台詞も云えるし、立廻りも見事でした。
メーキャップについてもあの近眼を艶冶な流し目に変え如何に効果的に写されるかを研究し、腰から下の欠点をカバーして独特の雷ちゃんの歩き方を工夫し、狂四郎の円月殺法を完成しました。台詞さってあのメリハリのきいた腹の底から出てくる声は役に徹していましたでしょう。
雷ちゃんの亡い今、役者として友達として彼の得難さを痛切に知らされます。
あの日、あの時、若き日を仕事に遊びにと、雷ちゃんと共にある思い出は尽きません。(セルフ出版「ウイークエンドスーパー」昭和52年11月号より)