雷ちゃんの匂い
高野山なんかに行くと、樹齢何百年という木が自然に立っている。そういう木から感じる霊気は、市川雷蔵の魂と似ているような気がする。雷ちゃんは、映画界という宇宙の中で風になった。永久に吹きつづけている風に・・・・。
市川雷蔵は、昭和二十九年『花の白虎隊』で初めて映画入りした。大映京都撮影所で大勢の中から市川雷蔵を見つけるのはむずかしい。まず役者らしくない。目立たない。ひとりぼーっとしている男。銀行員のような男。市川雷蔵という天下一品の役者に出会ったのはそんな時だった。俳優会館の玄関に車が横づけされた。白虎隊に扮したひとりの俳優がその車に乗り込んだ。実に若々しい、りりしい若者。うそ、まさか、こんなに変わるなんて・・・・、信じられなかった。近よりがたいスターになっていた。
芸風という風がある。雷蔵という人は、まねる、まねぶ、まなぶ、という三つの道を通っていった。まねる〜自分の選んだ人のまねをする。まねぶ〜そのまねた殻から抜け出す。まなぶ〜一人前になり自分だけの個性で人生(芸風)を生きて歩いていく。初めに市川寿海風という芸をまね、映画に入ってからは雷蔵風という芸風を掴んだ。さすが成田屋(市川家の屋号)不動の地位を掴んだ。台本通りでぴっちりせりふを覚え、つまらないト書きでも自分で工夫し、雷蔵スタイルを作った。すべて台本に忠実で、あれだけの芝居をした雷ちゃん。俺にとって雷ちゃんはライバル、師だった。
初めの頃の雷ちゃんの立ち廻りは、振り付けのような立ち廻りだった。俺はぶつかるような立ち廻りをしていた。俺が二人昼斬る時には、雷ちゃんは五人斬っていたと思う。それは振り付け的な立ち廻りだったからできたんだろう。日本舞踊を子供の頃から学んでいたせいだろう。まるで「黒田節」を舞うように立ち廻りをしていた。『中山七里』の頃から、その振り付け的立ち廻りを変え、ぶっつけ本番のような、振り付けとはほぼ遠い危険な殺陣をするようになった。ずいぶん大勢のからみの人たちが怪我をした。「いてぇー。頭をなぐられた」「俺は首すじをなぐられた」「俺はケツをおもいっきりなぐられた」斬られたと言って、セットを出てくるからみの俳優たちは、誰もいなかった。撮影が終わって、セットから出てくる雷ちゃんの顔は、すっきりと、はればれとしていた。なぐられた連中は、「雷蔵さんはサドですね」情けない顔で、俺によくこぼしていた。
俳優にとっていちばん大事なのは口跡(声)だ。その口跡のよさは天下一品だった。低い声(呂の声)と高い声(甲の声)を自在にあやつり、雷ちゃんのせりふは聞いていて、実にいい気持ちにさせてくれる。いくら声がよくても、歌だけは止めて欲しかった。雷ちゃんは「バラの刺青」が好きでよく歌っていた。まるで長唄の『勧進帳』を唄うように、指先を後ろ手に組み、スピーチをするようなスタイルで歌うのがが癖だった。長唄調の節回しで、“ヒー・ウォー・ザー・ローズ・タトゥー”(下記参照)英語も、台本を覚える要領でカタカナをふって覚えていた。「雷ちゃん今日の『マラの刺青』よかったよ」「勝ちゃん、英語しらんのか。マラやないでバラやで」
口跡は良かったが目は悪かった。度の強い眼鏡をかけていた。眼鏡をはずすと、雷ちゃんが座頭市。目先がまったく見えなかった。目の形もよくなかった。目じりにすみを入れ、まつ毛をつけると、目千両−。市川雷蔵に変わる。手鏡を顔に近づけ、指先と毛筆で、ていねいにメイキャップしている姿は菩薩のように見えた。
俺が『不知火検校』という作品を作ったのも、市川雷蔵という台本どおりに見事に演じる役者がいたからだ。俺は台本どおり演じることのできない人間だ。台本から飛び出して役を作り、演じるなら、雷ちゃんに負けないと思った。そのとおりになって、大映名物カツライスが誕生した。雷ちゃんの芸風を見て、自分の芸風を見つけたと言ってもいい。雷ちゃんにしろ、俺にしろ、カメラに写っている俺たちの後ろには、本物の木、本物の廊下、本物の屋根、石、鴨居、天井、本物の光、影がいつまでも写っている。おかげさまで、今日になっても若い映画ファンがついていてくれると思う。映画とはそういう生き物だ。
雷ちゃんの匂いを私は覚えている。俳優会館の廊下をいつ通り過ぎたのか、いつ現れたのか、匂いだけが残っている。白檀の香りに似ている匂いだった。雷ちゃんの匂いは、かぐというより、きくという感じの品格ある香りだった。
昭和四十四年の午前五時ごろだったか、『人斬り』のロケ宿に電話あり、雷ちゃんの死を知らされた。祇園祭の朝だった。雷ちゃんが、今、亡くなったと聞いた時、俺はふーっと笑ったような気がする。なぜなのかわからない。
雷ちゃんは風になって、永久に、この映画界に生き続けるだろう。ほら、雷ちゃんは来てくれる。ゴルフをしている時でも、今、この自伝を書いている時でも。ピカピカ・・・・。ゴロゴロ・・・・。(勝新太郎、廣済堂出版「俺・勝新太郎〜劇薬の書」92年より)
♪The Rose Tattoo♪
He wore the rose tattoo |
To prove his love was true |
But hearts can lie, so why deny |
That roses fade and love can die |
*She'll wait her whole life through |
Like fools and dreamers do |
She'll go on caring for one who's wearing |
The rose, the rose tattoo |
(*Repeat)