飄逸
「飄逸」・・・・今にもひょっと会えそうに思える雷蔵さん。
何の関連もない時に、ふと、雲や水や花に想い出される人、それは映像で創られた雷蔵さんではない。「飄逸」な雷蔵さんである。自由にホイホイとユーモアを投げかけてくる雷蔵さんである。
横着さと敬虔さが何の矛盾もなく同居していた人であったし、無邪気さと気むずかしさもすんなりと人に向けられていた・・・・そんな雷蔵さんの面影だけが浮かんでくる。
「快心の作」、「意にそまぬ作」それが縦糸横糸になって織りなされてきた。その機の音がある日突然ぴたりと止まってしまった。あの「飄逸」な雷蔵さんはもう話しかけてはくれない。
私の仕事「美術」は比較的俳優さんとは密着度が少ないのであるが、演ずる「場」であり、画調の基本でもあるので、その点関心の深かった雷蔵さんとはよく本読みのあとで話し合うことが多かった。そんなとき、「へェー」とか「ふうーん」といった言葉を連発する。それが独特のアクセントを持っているので、いささか軽蔑した「へェー」であったり、本当に我が意を得たりといった「ふうーん」であったりする。何気ないディスカッションで間にも、真と偽を鑑別する鋭さは無類であったし、急所を突いたその意見は一種独特の風格を備えた批評家でもあった。
雷蔵さんの性格からくるものだろうか、普通の時代劇よりも、文芸作と称せられる方が肌にあっていたように思える。禅寺に何日か修業に行ったり(炎上)、麻酔手術の講義研究に通ったり(華岡青洲の妻)、その時の雷蔵さんの真摯な様子は目をみはるものがあった。
新しい建築写真集が出ると必ず知らせてくれたし、自分でも買い集めていて、セットのディテールで困った時などよく助け舟を出してくれたりした。これは他の人たちにも同じであって、俳優としてよりも裏方としての雷蔵さんといってもよいほど親しまれていたのに・・・・
そんな雷蔵さんがなぜ夭折したのであろう。雷蔵さんには準備する人生のほかにそれを仕上げる人生がなぜ与えられなかったのだろうか。「飄逸」な雷蔵さんであっただけに骨身にしみる寂しさである。