雷蔵と狂四郎
想えば、雷蔵という人は幸せなスターだ。−が、裏を返せば、それだけ、人間吉哉としても、役者(俳優とはいいたくない)雷蔵としても、魅力が多かったともいえる。
昭和44年7月18日、雷蔵の通夜に列席した人びとの中で、川口松太郎(以下敬称略)は「・・・・これからという時に不憫でネ、不憫で・・・役者は四十小僧といわれているんだ、もっともっと大きいことのできるやつだよ・・・あの若さで真面目一方だし、もの堅いのはいない・・・」。市川崑監督が「・・・『炎上』を演りたかった時、多くの人びとが反対したけれど、それを押し切って企画を通してくれた、だから、あれができたのも、まったく雷ちゃんのお蔭・・・・」。若尾文子は「・・・私が仕事に迷って、俳優をやめようかと思って、雷蔵さんに話をしたら、叱られてネ、仕事熱心で几帳面な方でしょ、『そんな心掛けではいけない、プロに徹しなければ・・・』といわれ、そのお蔭で、オーバーにいえば、今日あるのも雷蔵さんのお蔭なんです・・・・」。淡島千景が「澄まして、二枚目なのに、悪戯がすきでネ、だから私達、貴公子じゃなくて奇行子だっていっていたんです。・・・澄まして面白いことをいって笑わせたり、みんなの気持ちをよくまとめることのできる方でした・・・・」。等々、あげていたらきりがないが、悲しみの中に、涙と共に語ったことによっても、立派に裏づけされているではないか。映画に、舞台に、若くしてこれだけの要素を秘めた役者は、オーバーないい方をすれば、今後誕生しないであろう。
眠狂四郎を演じた役者は数かずあるが−映画では、鶴田浩二、松方弘樹、TVでは、江見俊太郎、平幹二朗、田村正和、舞台では、田村正和、林与一−。原作者の柴田錬三郎をはじめ、多くの人びとをして“雷蔵の前に狂四郎なく、雷蔵の後に狂四郎なし”と、いわしめた雷蔵の狂四郎は、まさに適役中の適役だといえる。その狂四郎の出生の秘密をみる時、雷蔵のそれを思い浮かべると、そこに何やら相通ずるものがあるように思えてならない。だからでもないが、雷蔵以外の狂四郎をみる時、そこに甘さを感じないわけにはいかない。しかし、その雷蔵でさえ、自分自身も述べている如く、第1作『殺法帖』では甘さがあり、原作の持つイメージを充分に生かし切れてなかった。とはいうものの、第2作、第3作〜第12作と、回を重ねるに従って、出来は素晴らしく、その姿を銀幕の中に観る時、スクリーンの外にさえその妖気を感ずるのである。特に『無頼剣』では、台詞こそあまり喋らないが、格調高いものにさえしている。
このアルバムを編むに当たって、狂四郎の原作を再読してみたが、狂四郎のもつ、あの独特の台詞まわしは、読み進むにつれて、いつの間にか、雷蔵節のそれに置きかえられ、私の脳裡に響きわたるのであった。(1977年発売のLPレコード『眠狂四郎』解説より、一部割愛しています)