雷蔵君のこと
いつだったか、もう一昨年のことになるかもしれない。大映の試写を見て宣伝部に立ち寄った時、宣伝部の人見君から丁度その場に居合わせた雷蔵君に紹介されたことがある。実は、人見君のそばに瀟洒な一青年のいることに気がついていたが、それが雷蔵君であることはついぞ気がつかなかった。天下の二枚目スターを目の前にして大変失礼な話だが、紹介されて初めて「これはこれは」と気がついた次第。
現代劇のスターはそうでもないが、時代劇の男優はヅラをつけ、それに顔も相当に作るので、素顔を見なれていないあ僕など、時たまこの様に相手をお見それしてしまうことがある。しかしスクリーンと素顔とでは姿かたちが大変かわってしまうということになると、あながちこちらの迂闊だけではないかもしれない。
余談はさておき、その時、雷蔵君とは二言三言話をしただけだったが、大変好ましい印象を受けた。雷蔵君はスクリーンでもどちらかと言えば、中肉中背スマートなタイプの二枚目だが(時代劇の戦後派の若手スターは、不思議とこのタイプが多い。戦前派の長谷川一夫、片岡千恵蔵、市川右太衛門、高田浩吉等が、いずれも顔立ちや体の恰幅がガッチリしているのに対して、戦後派の雷蔵を始め、勝、錦之助、千代之介、橋蔵等が揃いも揃って一廻りサイズが小さいのも面白い現象だと思っている)、素顔の雷蔵君はスクリーンから受けた感じ以上にアク抜けした美青年だった。
ちょっと見ただけでは少しも俳優らしくない。どこの街でもすれ違う平凡だが好ましい青年といった、近親感が持てた。ところが、この一見平凡でひよわそうな雷蔵君が、ひとたびカメラの前に立つと硬骨な若侍、凛々しい三度笠の渡世人、いなせな江戸っ子等々、どんな役でも別人の様に颯爽とやってのけるのだから、天晴れである。この雷蔵君のどこにそんな熱い力があるのだろうか。その時、ふとこんな風に考えた事を今でもはっきり覚えている。
こういう後援会誌に御主人役のことをほめて書くのは妙に気がひける。というのは得てして、お義理の御贔屓原稿が多いからだ。しかし断っておくが、僕はお義理からでなく、ずっと以前からスクリーンの雷蔵君を時代劇の好ましい若手スターとして見続けて来た。デビュー作『花の白虎隊』からこも間見た『月姫系図』、そして今日も見た『遊侠五人男』まで・・・この間四年間の映画俳優生活だが、実にスクスクと伸びて来ている。若鷲が大きく羽ばたいて中天に舞い上がる様に、快い飛翔の跡がうかがえる。
顔立ちが端麗で、やや陰影の彫に乏しく、優男型でタフ・ガイ味には欠けているが、彼の熱と力はそれを補ってあまりある。たとえば『新・平家物語』の若き日の清盛、『鳴門秘帖』の精悍な阿波侍等にそれが見られた。彼の精進をもってすれば、いずれは貴重な年輪に年輪を加えて確実に、大成への道を闊歩し続けるに違いない。大映にあっては、既に長谷川一夫の後継者であることは疑うべくもない。
これまでが好ましい雷蔵であった様に、今後も愛される雷蔵として、芸の研磨になお一層の努力を励んでもらいたい。
(よ志哉3号より)
大黒東洋士(おおぐろ とよし 1908-1992)さんは、双葉十三郎氏と並んで辛口で知られた映画評論家。