『花の白虎隊』は、雷蔵君と一緒に勝新太郎君も初出演したものですが、この時の雷蔵君は扮装も演技もまだ映画になれていないだけに最初から完璧とまでは行かないまでも、この分なれば一応は大スターになれるだろうという期待を抱かせてくれました。それ以来、こちらもいろいろの役柄で、雷蔵君の主演をさせ、彼もグングン伸びていって、ついに今日の雷蔵になってくれたのでした。
当初、お互いに一抹の危惧を抱きながら、やりはじめたことではありますが、いまや本人もきっと喜んでくれているでしょうし、私も又撮影所長として、これほど欣快なことはありません。雷蔵君は非常な芸才もあり、不断の努力を惜しまない好青年で近頃では、メーキャップ、扮装ともに、いよいよ洗練されて来た形で、芸の巾も一段と加わってきて、この間の『炎上』では、もう押しも、押されもせぬ立派な演技者にまで成長したことを、認めないわけには行きません。 彼の人柄についていえば撮影所内のどこへ行っても「雷ちゃん」の愛称で親しまれ、会社内部的な人気も大変なものがあります。そして演技と密接な関係にある彼の日常生活の態度も、私の知る限りに於いて、数ある映画スターの中でも稀に見る立派なものだと思います。又彼は何事によらず、対手に悪感情を抱かせないで、というより対手に好感を持たせつつ、しかも自分の意見を堂々と述べるという不思議な魅力を持っています。これらのすぐれた美点を持つが故に、雷蔵君は所謂線香花火式の人気でなく、ジリジリと根強い人気を盛り上げて行ったので、今や時代劇の青年スターの中では、人気の高いことも、ファン層の広いことも、随一だと信じています。 回顧すれば、私も映画人生活は三十年近くになり、今日では先ず映画企業に於ける経営陣の末席をけがしていますが、この経営の仕事はもとより、それにも増して、次代を背負う映画人の育成にも努力しなければならない立場におかれています。従って例えば、自分が手塩にかけたのはどのスター、どの監督、どの技術者といった風に何人かの人々を養成したという誇り持ちたいと考えていますが、そうした中にあって、わが雷蔵君は、私が一年も時日をかけて慎重に考えて来た人であり、しかも幸いにして期待通りの成長振りを、立派に示してくれただけに、これ程嬉しいことはありません。 雷蔵君の最近の演技や、人気から考え、彼が将来益々大きくなって行くことを十分に期待し、かつ楽しみを持つと同時に、この雷蔵君を見出し、育て上げた事に(勿論、私一人だけの力ではありませんが)心からなる誇りを持っている次第です。どうか雷蔵ファンの皆様、雷蔵君のためこの上の御支援をお願い致します。 (なお、雷蔵君と私を結びつけてくれた人に、今は故人となられた京都木屋町仏光寺の料理旅館の女将、高木朋子氏のあった事を、末尾に当ってしるしておきたいと思います) *京都木屋町仏光寺の料理旅館「喜美家」は、女将である高木朋子氏の突然の死去(昭和30年3月24日)の後、主人を失った女中の手で営業を続け、現在は「もち料理・きた村」として営業されています。 |
58年11月発行 よ志哉8号より