「連続射殺魔」永山則夫と、人気絶頂の歌手森進一との間には、多くの共通因子がある。北と南の違いはあるが、二人とも極貧の家庭に生れ、幼い時から働きに出、職業を転々と変え、社会の最低辺を這いずりまわった。
たまたま、歌が抜群にうまかったので、森進一は、プロダクションにひろわれて栄光の座をかち得たのだが、そんな才能のもちあわせがない永山則夫は、基地から盗みだした22口径レームRG型拳銃の、冷たい感触と重味に、生き甲斐を感じるほか、なかったのである。森進一は満員の聴衆の前で魂をこめて艶歌を歌う時、充実した生を味わい、永山則夫は無目的に拳銃の引金をひくことで生のオルガスムスを感じた。
スタアと、殺人者という、天と地の差がある二人だけれど、幸運の女神が、どういう気まぐれからか、森進一に手をさしのべただけで、この二人が足もとにふみしめていた基盤は、まったく同じである。私は森進一の性格を全然知らないが、彼は意思が強く、向上心にとんでいて、それが気にいった女神は、彼をヒイキにしたのかも分らない。だが、何故か私には、森進一を絶頂においあげておいてから、女神が、きわめて残酷な手段で、彼を一挙に叩きのめす計画をめぐらせているような予感がしてならない。市川雷蔵は、女神の退屈しのぎの犠牲者であった。
市川雷蔵の生い立ちの記録は、暗い、
大阪住吉に、健在な生母富久さんの話を要約すると−
富久さんは、京都丸太町の老舗、中尾吉太郎氏の長女として、生れた。家政女学校を卒業したあと、東京のある男爵家に行儀見習いの名目で奉公している時、商社マンの亀崎松太郎氏に見そめられて、結婚した。結婚してすぐ、松太郎氏は奈良連隊の幹部候補生となって入隊した。そのときすでに、富久の胎内には、子供が宿っていた。義父や義姉の冷たい仕打に、ひたすら耐えながら、夫が除隊してくる日を、指折り数えて待っていたが、長い間をおいて、思いだしたようにくる松太郎氏の手紙の文面には、愛情のかけらもなく、神経も肉体も疲労しつくした富久さんは、将来の希望をまったく失い、亀崎家を飛び出して実家に帰り、そこで男子を出産した。章雄と、名づける。この子供がのちの市川雷蔵である。
飛びだした以上、もう決して、夫のもとへは帰れないから、章雄を立派に育てて、生涯を独身ですごす決意をかためた。
章雄が生後六ヶ月になったとき、突然、義兄の竹内嘉三(のちの市川九団次)が訪ねてきて、養子にもらいたいという強い要請をうけた。実父の吉太郎氏も、章雄の将来を考えたら、それが最善の道であると富久さんをさとし、最初、かたくなに拒みつづけていた富久さんも、しだいに、息子にとっても、その方がしあわせだという考えにかたむきだした。
ついに、身をさかれる思いで、章雄と訣別する決心をした富久さんは、その衝撃があまりにもはげしく、肺をおかされ、長い病の床についたのであった。
こうして、章雄は、名も嘉雄と改め、竹内家の一員となった。