「死んだらエンギが悪い」
患者も看護婦も ヒヤヒヤの病院ロケ
代表作「忍びの者」をはじめ、いまは亡き市川雷蔵さんとの思い出はつきない。
雷蔵さんとの出会いは、伊藤大輔監督の「弁天小僧」だった。この映画は、高さ7・8メートルの鳥居が一メートルから二メートル間隔で並ぶ上をピョンピョンと飛ぶように逃げるシーンなど、かなり危険な仕事が多く、監督の注文も予想以上にきびしいものだった。
しかも、鳥居の下は石だたみで、マットは敷いていない。足を踏みはずせば、まず大ケガは免れないので「自信はある」とはいうもののヒヤ汗の連続であった。
池のクイをたくさん打ち込み、そのクイの頭の上を逃げてゆくシーンもあった。ちょうど竹馬で飛ぶような感じで渡り、最後に橋のらんかんからトンボを切ってカットなのだが、何度も繰り返す練習やテストでも、失敗が許されないとあって神経の細る思いだった。というのも、一つ間違えば水の中、かんじんの衣装がずぶ濡れになってしまっては本番に入れない。そうかといって、裸で練習すれば余計感が狂う。やはり、装束に合った飛び方で練習を積んでおかないと失敗することがあるからだ。
用心に用心を重ねてやらねばならない。「体操の試合よりも緊張するし、むつかしいや」−グチの二つや三つも出た、苦しい撮影であった。
やはり雷蔵さんの吹き替えで、新聞社や週刊誌の記者がかけつけて、フラッシュを浴びて“いい気分”だったのが、大映京都作品の「鳴門秘帖」−。
戌亥竜太郎にふんする雷蔵さんが“車返しの秘太刀”という新剣法をあみだし、話題になった。実際やるのは、もちろん私。機械体操を殺陣に組み入れた新しい方法で、これなら私にも自信があった。
<刀のそりを返し、こい口をプッツリ切って、敵をにらみすえる。と同時に、気合もろとも体が宙を一転、着地の瞬間サッと刃が一閃したかと思うと、すでに相手の胴をはらっている>
原型は、単純なトンボ返りなのだが、衣装をつけて刀を差して・・・となると、そうそううまくゆくものではない。それに、着地の瞬間、太刀を抜き払うタイミングがむつかしく、日夜、練習を重ねたものだ。派手な殺陣、見ばえのする殺陣として話題になったが、それだけ苦労も大きい“新剣法”だった。
雷蔵さんとたくさん撮った中でも、思いで深い、もう一つの映画が「ある殺し屋の鍵」である。
雷蔵さんにはめずらしい現代もので、役どころは、スマートで“ニヒルな顔”をもつ殺し屋。
この映画の、アクションの見せ場が、高層ビルの屋上から、ロープを使って途中まで降り、反動を利して窓をつき破って部屋に突入する場面。
京都市民病院を借りてのロケで、七階屋上からロープにぶらさがって降り、三階のところで、カベを蹴って反動をつけ、部屋に突入する。
場所が場所だけに、見物人のほとんどが“通い”の病人や入院患者、それに看護婦さんたち
「病院だけに、もしも落ちて死んだらエンギが悪い」
病院関係者の方がヒヤヒヤしながらの撮影だった。
「君の命より、病院はエンギの方を尊重しているようだぜ」
雷蔵さんもひやかし半分で苦笑しきり。
私も“それなら・・・”と開き直った気分になって「落ちても、すぐベッドがあるから、なんとでもなりますヨ」−意地になってやったのがよかったのか?一発でOKが出た。(「撮影うらばなし」51年4月30日燈影舎発行より)