「四十の手習い」で
柔道・空手・拳法まで・・・裸馬の曲乗りは命がけ
スタントマンというからには、なんでもやらねばならない。想像以上のきびしさに、この世界に転身してしばらくは、不安な毎日を送ったものだ。
機械体操の選手だったので、運動神経だけは人並み以上に自信があり、陸上でも水泳でもボールゲームでも、少し時間さえくれれば、こなして見せる自信はあったが、柔道、空手、拳法、ボクシングといったたぐいは、学生時代に友人から教わった程度で、スタイルそのものがあいまいだった。
おかげで、映画界に入ってから“道場通い”が始まった。
大学から町道場にいたるまで・・・。そのころはまだ三十前後だったが、それでもスポーツの世界でいうなら“四十の手習い”である。しかし、格好を構っていては食ってゆけない。撮影の合間を見つけては、手当たり次第、その道の先生にご指導を願った。
「では、空手は何段かネ」
と、いわれると困るのだが、三段の型を見せろといわれれば、お見せすることはできるし、八段らしくふるまえ−と言うなら、それも可能だ。要するに、スタントマンである私にとっては、強くなることが重要なのではなく、大切なのは、強く見せることなのだから。もっとも、映画は決闘、からみ、殺陣・・・といろいろやるが、総じて勝つ側よりも、負ける方の役が多いので、「負け方が上手」と周囲はおっしゃる。
そんな“修業”の中で、これだけはスタイルをマスターするだけではゴマ化せない、というのがある。
馬術である。
馬術といっても、競技のように、巧く優雅にやればいいってものではない。また、競馬の騎手のように、速く走ればいいってものでもない。裸馬に飛び乗ったり、降りたり、落馬したり、横乗りになったり、あるいは手離しでやりを抱えて・・・という具合。おもに曲乗りである。
だから、私がこの仕事を選んで、一番苦心したのは馬であった。
市川雷蔵さんの映画「若き日の信長」で、はじめて、馬上のスタントを引き受けた。富士の裾野で夜明けのロケーションだった。ところが、その富士の裾野というのが、実は穴ボコだらけで、さっそうと馬が行く−などという場面はなかなか撮れない。
落馬したり、馬ごとひっくり返ったりで大変な撮影。何度もやり直してやっとロケを納めたが、体中打ち身だらけだった。
もちろん、この撮影にあたって、私は猛特訓を受けた。
そのころ大映製作部で、元馬術専門のスタントマンをしていた西郷さんに三ヶ月間、みっちりしごかれて、富士の裾野へ出発したのだった。
その後、やはり雷蔵さんの映画で「ジャン有馬の襲撃」というのがあった。馬を使っての鳥取砂丘ロケーション。
砂丘の勾配を二十数頭の馬が走りおりる。だが、勾配はかなり急なので、馬は足元を深くすくわれて転倒、乗り手たちはバタバタ落ちた。結局、馬上のまま下までたどりついたのは三人だけ、私も、西郷さんの大特訓のおかげで、何とか面目を保てた。