なんでやの精神

太田 彼は、撮影の時、ちょっとした動きでも、それが不自然だと気にする方だね。たとえば監督さんが、どうこう動いてくれと言っても、その役の人物の心理状態からは、どうしても動けない、そういう時には、ハッキリと、こうこうだから動けないんじゃないかと言うね。

土井 太田君の言うことと、ちょっと、言葉のニュアンスは違うけど、彼はよく、なんでや、と言うね。なんでこう動かんならんのやとか、何でこういう言い方しなきゃいけないんだとかね。そういうことだとおもうんだけど。これは、撮影現場を二時間位見ていれば必ず一度は出食わすであろうと思われるぐらい、しばしばあるように思うんですけどね。『ぼんち』や『炎上』のときはどうでした。

池広 ああいう場合は、監督を信頼しているのかね。特に『炎上』の場合なんか、市川さん(崑監督)の力が多かったと思うね。だから、雷ちゃん自身考えていることが、うまくミートする場合多かったんだな。ミートすることが多かったということはやっぱり、雷ちゃんが立派だったと思うんだ。

土井 理解する力が強いと言うことが、そういうとこにも出て来ていると思うな。しかし、雷ちゃんが、「何んでや」と大変子供っぽく主張するのは、恐らく彼自身意識して言ってるんだと思うけど、ああいうとこ、最も彼らしいとこでもあるし、また雷ちゃんのよさでしょうね。やっぱり、自分のものとして吸収しようという努力とか、素質が、こういう形で表われてくると思うんですけどね。

池広 どうも、ほめてばっかりだね。(笑)しかし、その「何んでや」というの、雷ちゃんのレジスタンス精神というもの、感じない。

土井 レジスタンスまで行かなくても、批判精神だと僕は思うんだけどな。一旦ボールを受けとってから、投げるまで間をもって、球をいじくっている感じだな。

池広 なんでや、と言っても、一度納得すれば、言うことよく聞くね、予告篇一つにしても、どうしても、こういうの別撮りしなくちゃいけないんだと納得したら、どんなにしんどくても、言うこときいてくれますよ。彼は。