私の所へは、老若男女実に種種様々な人が訪ねて来る。人事百般、ありとあらゆる問題を持ち込んでくる。人間が抱く煩悶の、その種類の多さを身近に知るという事み於いては私共の仕事は代表的と云えるであろう。

中には至極風変りな人もあり、珍しいことを云う人も少なくない。だが、極く大きく分類してみると、女は愛情に関する問題、男は仕事に関する問題と、この二つに分けられるとも云い得る。そこで・・・割合新しい話だが、或日、市川雷蔵という人が訪ねて来た事がある。と云っても、大映の雷蔵ではなかった。

或る劇団の、と云っても大きな劇団ではないが、ともかくも座長である。座長と、その息子の二人連れだが、これが仕事の悩みで、「神武以来の何とかと云うのに、私らの一座の景気は少しも良くならない。私を除いては下手な役者ばかり揃っているんだから、このままではテンデ駄目だ。これから夏にかけては私らの活躍すべきシーズンであるのだから、ここで一つ起死回生の策を講じたい・・・」

というのがその云い分で、

「ところで先生、ものは相談だが、この忰、誰かに似ていませんか?」と訊かれたが、当方では別に心当りが無い。

「天眼鏡をかざして、ようく見ておくんなさいよ。気を静めて、落ち着いて・・・」などと座長氏は躍起となった。

「判りませんなア」「市川雷蔵に似てませんかね、雷蔵に、似てるでしょう」

と云われたが、別に似ているという程の事はなかった。唯、面長で、年配が近いというだけだ。これで気を静めろと云われても無理な話である。

座長の云うところに依れば、以後、市川雷蔵大一座特別公演と銘打って巡業しようと思うがどうだ?

「なあに、化粧すれば、それらしい恰好が付いて、結構雷蔵に見えまさあね」と来たのには少々驚ろいた。

先ず千葉県市川市の適当な空地に小屋掛けして、(市川の雷蔵)と名乗り、一応の実績を残してから各地を巡る、という。看板ののの字は小さく書いておくのだそうである。

「一応の実績と云っても、そりゃあ雷蔵本人や大映から文句が来るでしょう!」と私は云った。

「その場合は市川電蔵でいきやしょう」

と座長氏はスマしている。実に何と云いましょうか、である。この調子では、各地に長谷川一大だの中村綿之助だの美空ひはり、伴淳二郎、等というような大一座がさぞやカツヤクしている事だろう、と思った。

尤も、これは他人事ではない。私の名前を使ってカツヤクしている者が少くとも二人は居るらしい。親切な読者が各地から知らせてくれるのである。

私はそういう事には賛成出来ない、と答えた。

すると座長氏は些かに不服そうで、

「じゃ他に何か良い智慧でもござんしょうか?」

「左様、市川馬五郎一座などというのは愛嬌があってよかろうと思う」と私は少々苦しい智慧をしぼって答えた。すると、今迄黙って聞いていた忰氏の方が身を乗り出して「そいつは良いや!」と云い出した。

「何だか馬の骨みてえな名前だな。そいつぁ一体どんな役者だい?」と座長氏は不審そうであったが・・・その後、あの親子はどうなったか、未だその顛末は報せがないが、多分、この案で行くならば「大映スター菅原謙二主演に依り映画化された、評判の市川馬五郎一座、御当地初の御目見得!」などと銘打って、あの座長も、忰にその地位を譲る事もなく、市川市に限らず各地を巡っているのではなかろうか?

と、まあ、大分前置が長びいたが、私が市川雷蔵の人気の大きさを身近に知ったのは、この時が最初だった。