映画にほれて

聞き書き 田中徳三監督

 豊島さん: 雷蔵さんとよくお酒は。

 田中監督: 仕事が終わって飲みにいくことはあんまりなかった。勝ちゃんとはしばしばありましたが、(雷蔵の)家にはよく行きました。私だけでなく、スタッフも度々ね。雷ちゃんも大パーティをやりました。

 内藤さん: 俳優さんとの個人的な付き合いは嫌いでした。映画の中の一素材と思ってましたから。

 田中監督: 内藤さんとは数知れず行きましたね。僕が助監督で、彼が助手時代から。なんかあると飲み屋にいって、ちょこちょっと打ち合わせやって、そのうちぐでんぐでん。あんまり打ち合わせをしなかったけど、それでもなんとなく(撮影は)うまくいきました。

 豊島さん: 1950〜60年代、映画が面白かったのは、それだけ余裕があったからでしょう。ところで、宮川(一夫)さんは、俳優に指示したり、アドバイスしたのでしょうか。

 田中監督: 演技をつけることは絶対にありませんでした。宮川さんは「キャメラマンは監督とのコンビで、俳優とのコンビではない」といっていました。

 豊島さん: 撮影現場の様子は。

 内藤さん: 本当に謹厳実直。冗談が通じる時と通じない時があって、下手するとぷっとふくれたりね。頭の中でいつも映画のことを考えていました。僕もよく映画を見たほうだったけど、あの人にはかなわなかった。

 田中監督: 11本目の『悪名』でやっと宮川さんと仕事ができました。とにかくまじめな人。僕はきちんとしたコンテを作らず、現場で考えるほうなんです。するとロケなんかでしつこく説明を求められました。私も宮川さんのことはわかっていますから、なんとかやれたけど。

 「中抜き」という撮り方があります。カット1からでなく、5から撮るような方法です。そんな時に「この前はどうなの。後は?」と、とことん聞かれるんです。宮川さんは稲垣浩監督とよくコンビを組んだ。稲垣さんはコンテ通りに撮る人でしたから、その影響かな。でも、『悪名』ではお世話になりました。

 内藤さん: 宮川さんはちゃんとした絵を撮るため、1カットに3時間かけるんです。だから監督はできるだけカット数を少なくしなければならない。私はどうしたら1カットで撮れるかを考え、カットを長く撮れるセット作りをしました。

 豊島さん: 田中監督にもよく相談されたのでは。

 田中監督: 映画は監督一人では作れません。いろんなスタッフの協力がいる。中でも頼りはキャメラマンです。宮川さんは非常に研究熱心で、いろんな試みをやった。『悪名』ではもろもろのアイデアをもらいました。

 内藤さん: 同じカメラ、フィルムを使っているのに、宮川さんが撮ると細部まできっちり写る。衣裳の素材や小道具の質感、壁も本物か色を塗ったものかまでわかるような。当時から不思議でした。光量をあげて、(レンズの)絞りを絞っていたんだと思います。

 田中監督: 宮川さんは幼い頃から、水墨画の塾に十何年も通ったそうです。黒にもいろんな色があることを教え込まれた。それが後年、キャメラマンになって役立った。彼の細かいところにこだわる感覚はその時に培われた。彼は著作で「前田青邨の絵はみんなパンフォーカス(近景と遠景を同時に撮影する技法)だ」と」書いている。シャープというか・・・、大変なおっさんですな(笑)。

1999年6月から12月まで、約半年に渡り毎日新聞三重・伊賀版に掲載された“映画にほれて-聞き書き 田中徳三監督-”より。聞き手:小泉健一・淵脇直樹