映画にほれて
聞き書き 田中徳三監督
助監督として大映京都撮影所で仕事をするようになり12年目の1958年、ようやく監督になるチャンスが巡ってきました。「SP」と呼ばれていた短い作品を撮ることになったのです。前にも話したように、監督への階段があるとすれば、ようやく最も下の段に、片足をかけるところまでたどりついたのです。
SPは「ショートピクチャー」の意味でしょう。1時間前後の作品です。標準的なものは1時間半でした。2本立てにして客を入れ替えるのに、興行的にちょうどよかったからです。今のテレビ映画の1時間ものは、コマーシャルを除くと正味44-45分ですから、それより少し長いくらいです。日本映画の全盛期だった当時は、地方にも数多くの映画館があり、地方向けに配給する作品が必要でした。SPはその役目を果たしていました。だから、都会の一流の封切り館ではいきなり上映されることはありませんでした。 予算も撮影日数も少ない。当然のことながら、経費の関係で大スターは使えない。会社にとっては、監督としてやっていけるかどうかを見るテスト版の意味合いもありました。 黒澤監督と溝口監督の国際的な映画祭での受賞作で、助監督をしていたため、私はマスコミや映画評論家から「グランプリ助監督」とも称されていました。長い間、助監督を務め、監督になったら第一作で撮りたいと、温めていたテーマもありました。正式に伝えられる前、撮影所でたまたま会った市川崑さんに、「新人の二監督に撮らせることになったらしい。会社に頼まれ、そのうちの一本にシナリオを書いている」と教えられました。崑さんが監督した『炎上』でチーフ助監督もしていたし、本は当然、私がもらえると思いました。撮影所の関係者にそれとなく聞いたら、「シリアスないい本だ」と知らされ、期待が高まりました。 いよいよ所長に呼ばれ、「これだぞ」と脚本を手渡されました。題名を見た途端にがっくりきました。『化け猫御用だ』聞いただけで想像がつきますよね。化け猫にふんした腰元が、悪人をやっつける勧善懲悪的な喜劇の時代劇です。助監督として経験のない種類の作品でした。これが監督としてのるかそるかの作品か。気落ちはしたものの、やるよりしようがない。と覚悟を決めました。撮影所のスタッフルームにいた伊藤大輔監督に報告しました。チーフ助監督として一緒に仕事をさせてもらい、弟子を自認し、敬愛していました。 「やっと一本、撮れることになりました」と告げると、えらく喜んで聞かれました。「で、何を撮るんや」「『化け猫御用だ』です」「なに、『化け猫』」伊藤監督はしばらく黙りこんでから、ようやく言葉をかけてきました。「まあ、頑張りや」 まったく予想しなかった種類の作品をデビューとして撮ることになり、がっかりしたのは事実です。一方で、会社の温かい目も感じました。カメラや照明のスタッフにベテランばかりつけてくれたからです。それでも撮影中は、頼るのは自分しかなく、追い詰められた気持でした。そんなある日、撮影所のセットに、ふらっと市川雷蔵が入ってきました。 そのころ彼は、市川崑監督の『炎上』で数々の男優賞を取るなど、名実ともに日本映画界の大スターでした。54年に彼が大映に入社して以来の付き合いで、仲間意識もあり、普段は「雷ちゃん」と呼んでいました。照明の具合を調整する合間、雷ちゃんに聞かれました。「どや、うまいこといってるか」「まあまあ、やってるわ」そう答えると、びっくりする言葉が返ってきました。「おれ、この作品にちょっと出ようかと思うねん」「出ようかってそんな、会社OKせえへん」「内証で出たらええねん、芝居こしらえてくれ」私もその話にのってしまい、出演者で芸達者な漫才師の中田ダイマル、ラケットとからませることにしました。目明し役の二人に同行し、拍子木を打ち鳴らしながら「火の用心」を呼びかける町人役です。 時間にしたら1分ぐらいの長さの芝居です。現場で考えました。状況を示し、せりふは即興でやるよう三人に説明しました。だから脚本はさわっていません。飛び入りの芝居のためには組めないので、翌日、撮る予定にしていたセットを生かすことにしました。次の日、雷ちゃんは撮影所の衣裳部に行き、自分で役に合う衣裳と小道具を探し、セットに現れました。 撮影は1時間ほどで終わったように記憶しています。こっそり出てもらうので、雷ちゃんであるこがはっきりわかると都合が悪い。そこで、ほおかむりをさせ、横から狙ったり、照明の当て方や強さを工夫して、できるだけ顔をみせないようにしました。雷ちゃんがスクリーンから消える最後に、ちらっと一瞬だけ、顔がわかるような撮り方をしています。後ろ姿を見送るダイ、ラケが「ええ男や」と漏らすせりふをかぶせています。「どっかで見た顔や」だっかもしれません。せりふとして書いていないので、はっきり覚えていないんです。 スクリーンに映る出演者名に、雷ちゃんの名前は登場しません。記録上は出ていないことになっています。実際に映画館で見た観客は、彼だと気づいたでしょうか。失敗したら助監督に逆戻りになる。毎日、その恐怖をふりはらうように、必死で撮影にかかっていました。それだけに、今でも雷ちゃんの心遣いをありがたく思っています。 |