自分の世界をもっていた雷ちゃん
雷ちゃんはプロデューサー的素質もあってね。雷ちゃんが死んでから、大映はガタガタときたしね。いろんな意味で、市川雷蔵の死は、大映にとって象徴的な死でありましたね。
ええ、つき合いは古いんですわ。彼が映画に入ったとき、ぼくはチーフ助監督をしておりました。素顔の雷蔵は、ひょうひょうとして、明るい性格、そのへんをゴソゴソ歩いているガニマタの感じの青年。撮影所でも飾らず、ざっくばらんでして、およそスター気取りということはなかった。「鏑矢」という劇団を組織して、舞台稽古までして、それらが幻におわったわけで、病魔に勝てなかったことは、本当に残念・・・・。
すでにスターになっていた雷ちゃんが、短編映画「化猫御用」(中田ダイマル・ラケット主演)に「ちょっと出たいから」といって内緒で出演してくれた。この短編というのはいうなれば助監督の与えられる“監督試験”みたいなものでね。雷ちゃんは「徳さんのことだから」といってきかなかった。
その後、「濡れ髪シリーズ」で雷ちゃん、新人の本郷君と組んで、四-五本続いた。和気あいあいのうち、ディスカッションしながら、楽しく仕事ができた。
死ですか?月並みなセリフだが、あ然としましてね。雷ちゃんがそんなに悪いとは知らされてなかったし、九月になったら(病院から)帰ってくると、ぼくらは信じて疑わなかった。その日、真夏の暑いときで、安田道代が知らせに飛んできてね。なんともいえん気持ちで仕事を中断して、坐り込んでしまった。呆然としてね・・・・。
今、生きておられたら、芝居やテレビでひっぱりだこの人でしょうな。「眠狂四郎」も、実は雷ちゃんに相談して「狂四郎は市川雷蔵しかいない」。雷ちゃんはのってくれて、会社に企画を出してOKのでたものです。はじめは、ぼくらが考えていた狂四郎とはちがっていたけど、だんだん雷ちゃんの狂四郎になっていった。誰も踏み込めない、雷ちゃんしかできない狂四郎になっていた。
それは、俳優、市川雷蔵として、狂四郎のみならず“雷蔵の世界”だった。雷ちゃんは自分の世界をもっている人でした。(ミノフォンレコード名優シリーズ“市川雷蔵”より)