雷ちゃんのこと

雷ちゃんが大映に入った第一回作品は、「花の白虎隊」。その時私も企画部の研修生として入社したばかり。当時の大映京都では、長谷川一夫さんを中心に、黒川弥太郎、大河内伝次郎、阪東好太郎らで、時代劇のローテーションを組んでおり、若い世代にアピールする新魅力が要求されていた。そこえ登場したきたのが、雷ちゃんであり、勝ちゃんであった。

会社の期待も大きかったが、スタアというものは一日にして生れでるものではない。雷ちゃんの第二回作品「美男剣法」では、シャープな魅力をもっていながら、その力を充分に発揮できたとは思えなかった。ところが、故溝口健二監督の「新平家物語」で無理とはいわれながらもよく青年平清盛のたくましさを表現した雷ちゃんを見た時、はじめて彼の役者魂ともいうべきものを痛感した。

以後、山手樹一郎原作の「又四郎喧嘩旅」「喧嘩鴛鴦」などの明朗時代劇に、彼ならではの清新な魅力を発散し、完全に長谷川さんと共に、大映京都の荷い手になった。やっと会社の期待が結実してきたのである。

それからまもなく、私は宣伝部へ替った。その時に彼と、がっちりと組んでやった仕事が「炎上」である。この作品は市川崑監督としては念願の作品であり、会社としても興行成績を多くは期待出来ない冒険作品であった。この主演のドモリの青年を雷ちゃんがやりたいといいだしたから、会社は初めは危険視した。これを製作に踏みきらしたのは、雷ちゃんの熱意であった。この作品の製作宣伝期間約四ヶ月。その間に彼の役者としての合理性とあくことを知らぬ仕事慾をいやというほど思いしらされた。彼の生活からくる磨きあげられたど根性が今日を支えているバック・ボーンであり、将来日本映画史上に残りうる可能性でもあるのだろう。俳優としては恵まれた明晰な頭脳の持ち主だけに、よく人の意見を聞きますますさえた演技で彼ならではの魅力を発揮してくれえることをいつも心から念じている。(後援会誌「よ志哉」第39号より、筆者・土田正義は当時大映京都宣伝課長)